高崎・和算愛好会 管理人ブログ

「わたしのふるさと倉賀野を知ろう」小学生および保護者にガイドしました

倉賀野観光ガイドの会、今年2回目の活動です。
1回目は、1月12日の定例会だったので、
昨日(1月29日)は、実際のガイドとしては、今年はじめてです。

主催者は、倉賀野地域づくり協議会です。4~5名。
参加者は、小学生と保護者で、27名です。

ガイドの会は、7名参加なので、2班構成で実施です。

私は、第2班のガイド担当責任で、はじめてのマイク使用のガイドでした。

小学生メインの企画でしたが、閻魔堂(えんまどう)で閻魔様をのぞくくらいで、
特に子供向けの内容は、用意していません。
ほとんど保護者向けになってしまいます。

はじめてのマイクは、あまりうまくいきませんでしたが、ほぼ予定の内容をこなし、
小学生も、飽きることなく終了できました。
終了予定時間を勘違いしていたため、15分前で終了しました。
でも、このくらいでよさそうです。

朝は、底冷えがするような曇り空でしたが、しだいに晴れてあたたくなり、
風もなく、冬の街歩きとしては、良い日でした。



『和算に挑戦』の上級問題で、途中で放棄したもの

平成28年度の一関市博物館の『和算に挑戦』上級問題は、問題を見てかなり早い段階で
  (南円の直径)×(北円の直径)=(東円の直径)×(西円の直径)
という関係が浮かんで来ました。

なぜなのか分かりませんでしたが、浮かんで来たままに解答を進めましたが、
論理的に裏付けることができなく、解答にせず放棄しました。

何が何だかわかりませんが、ここに記録を残します。

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一関市博物館『和算に挑戦』の私の解答を載せておきます

締め切り日の1月20日を過ぎましたので、私の解答を載せておきます。

初級問題の解答
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中級問題の解答
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上級問題の解答
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1月16日に、一関市博物館の『和算に挑戦』の解答を送りました

「初級問題」「中級問題」「上級問題」各1通りの解答を送りました。

「上級問題」は、二通りの解答を書こうと思っていましたが、数学的でない考えをうまく表現できず、
あきらめました。

「中級問題」の解答は、A4用紙で5枚,「上級問題」の解答は、A4用紙で6枚にもなってしまい、
封筒全体の重量が60gになってしまいました。
定形外郵便物となってしまい、送料140円となってしまいました。

1月20日の締め切りを過ぎたら、ブログに載せるつもりです。



1月14日の上毛新聞に、群馬県和算研究会の会長が載っていました

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関孝和の話です。正確です。

「関家は、養子新七郎の代に断絶した」とあるが、武士を追放されて武士で無くなっただけで、
その後のことが分からない。どこかの関さんの先祖かもしれない。



元日の上毛新聞に、倉賀野神社の「年越しの大祓式」が載っていました

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6月末の「夏越し(なごし)の大祓式(おおはらえしき)」にも、
12月末の「年越しの大祓式(おおはらえしき)」にも出たことがなく、知りませんでした。




虹の立ち上がりを見た

12月は、いろいろ有った、有りすぎた。

結婚式も有ったが、葬式も有った。

群馬県和算研究会の定例会に出られなかった。
倉賀野宿の会に出られなかった。(まだ、会員になってないが)
中学校同窓生の忘年会に出られなかった。
拓本同好会の拓美の会に出られなかった。

パソコンが2台、ほぼ同時に故障した。
新しいパソコンを購入したが、いまだに復旧できないところがある。

さんざんな、12月だった。

12月23日に、虹の立ち上がりを見た。
写真を撮ったが、あまりよく写っていない。
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義兄が亡くなったので、1年間の喪に服するつもりです。
従って、来年の年賀状は有りません。




長野堰用水と高崎の歴史展、見てきました

12月18日に、たかさき人権プラザ(倉賀野にあります)へ、
『長野堰用水と高崎の歴史展』を、見に行ってきました。

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『江戸期の高崎と、長野堰用水の関連を示す』ジオラマ です。
北側から見た図です。手前が高崎の町です。
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南側から見た図です。手前は烏川です。河岸の天然の崖を利用しているのが分かります。
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高崎城を作った、井伊直政は、2017年のNHK大河ドラマの直虎から井伊家を継いだ人です。
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パンフレットは、6月に作ったものです。
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当日の朝日新聞にも紹介の記事が載っていました。
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記事に、「五貫堀(ごかんぼり)が長野堰(ながのぜき)の延長と知る人は、地元でも少ない」と
あるが、稲作を行う農家が少なくなったためです。
稲作には、水の少ない倉賀野では、長野堰の流れは非常に重要なものでした。
五貫堀は、倉賀野堰とも呼ばれています。




パソコンを更新したが、なかなか環境が復旧できない

従来使っていたパソコンがネットに突然つながらなくなった。

どうも、通信関連が故障したらしい。

実は、6か月ほど前に、無線ではつながらなくなり、以後、メタル回線でつないでいたから、
突然では、無いのかもしれない。

しかし、前日まで問題なくつながっていたのだから、やはり突然だ。

その1週間前に、予備のパソコンが全く立ち上がらなくなった。
危険を感じて、新しいパソコンの購入手配をした直後に、つながらなくなった。

綱渡り状態だ。

新しいパソコンは、Windows10だが、設定がよくわからない。
Windows7の時は、パソコンの更新は簡単だったように思う。

Windows10には、メールソフトが含まれていないようだ。
メールソフトは、やっとインストールできたが、設定やらパスワードやら失くしたものが多く、
いまだにメールが復旧できない。

やっと、ここまで。先が思いやられる。


「和算に挑戦」の紹介を、倉賀野駅の掲示板に掲示しました

12月5日、「和算に挑戦」の紹介を、倉賀野駅の掲示板に掲示しました。

少し右往左往しましたが、一応掲示できました。

掲示できたと言って良いのか、若干、疑問が残るので、今週末に確認する予定です。

今日午後、倉賀野駅へ行って、窓口の駅員さんに、『掲示をさせて欲しいのですが・・・』と、
話を切り出したのですが。

駅員さんに、『有料の掲示板?』と聞かれ、『そこの無料の掲示板です。』と答えると、
『あなたは、近くに住んでいるの?』と聞かれ、『はい』、
『どんな、掲示なの?』と聞かれ、内容を見せました。

見ても分からないようだったので、『和算の問題です。』『数学の問題です。』と言っても
分からないようでした。『和算の大家 関孝和 の和算です。』と説明しました。

すると、『そこの掲示板は、高崎市に言わないと掲示できない。』と言われました。

掲示を許可する能力が無いのになんと無礼な質問をするのだろう?
JR東日本の駅員も地に落ちたものだ。と思いながら、
『高崎市の何課なのか、教えていただけますか?』と聞きました。

そしたら、あちこちを見まわしていて、どうもわからないらしい。
すると、近くにいた別の若い駅員さんに聞いている。
若い駅員さんが、台帳らしきファイルを差し示している。

『期間は?』突然聞かれた。『今日から1月20日までです。』
『じゃ、これに書いて、掲示物に貼って、掲示して』と、受付の小さな紙と
セロテープをくれました。
『受付番号が書かれていませんが?』と質問したら、『いらない』とのこと。
いったい、高崎市はどうしたのだろう?説明もなにもない。

仕方ないので、前から貼られていた別の掲示物の受付番号が17号と
18号なので、19号と書いて、期間を書いて、掲示して来ました。

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この駅員さんは、話を聞いてくれるので、悪い人では無いと思いますが、
窓口にいる人間としての、言葉の使い方を知らない。
駅に関して知識も少ない。
たぶん、定年退職を前に、他の部門から移って来た人だろう。

JR東日本の幹部社員に言いたい。駅の窓口を軽視してはいけない。
保線,信号系と同じように、重要な業務です。
これ以上軽視すると、JR北海道の保線のようになってしまいます。



前橋市川曲町の諏訪神社に行って来ました

11月12日に、「倉賀野宿の会」の史跡見学会で、
前橋市川曲町の諏訪神社に行って来ました。

この諏訪神社の創建については、資料が無く不明だが、慶長11年(1606年)に、
前橋総社藩の初代秋元越中守長朝が祈ったという記録がある。
明治40年、国の合祀政策により、神明宮,琴平神社,八坂神社を合祀。
明治43年、倉賀野から三光寺稲荷(冠稲荷)神社の社殿を購入し、同地に改築した。

この神社には、2013年5月に来たことが有る。
2016年4月には、改修した新聞記事を見たことが有る。

場所の地図を次に示します。
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拡大図
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赤い立派な鳥居があります。
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碑に書かれた由緒書の内容が分かりやすく説明されています。
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神社の正面です。
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神社を左後方から見た図です。合祀した神社の石宮もきれいに並んでいます。
前は、本殿,幣殿,拝殿の構成でしたが、旧本殿の漆喰壁の破損が大きく修復できなかったそうです。
現在は、本殿と幣殿が一緒になっている。
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神社の正面の左右上方に漆喰の浮き絵があります。
これも、前のものをうまく取り外して付け替え、すこしお化粧したものだそうです。
前に見た時は良く分からなかったが、唐獅子牡丹の阿吽の対だろうと思います。
正面右側上方の阿形の唐獅子牡丹です。
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正面左側上方の吽形の唐獅子牡丹です。
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鳥居の右、公衆電話ボックスの近くに、2本の石柱が新設されています。
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右側の石柱に書かれている、格天井絵(ごうてんじょうえ)を見せて頂きました。
玉村の絵師・千輝玉斎(ちぎらぎょくさい)の作です。
一部分の写真を撮りました。1枚1枚に、奉納者と思われる名前が書かれています。
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格天井のほかに、その下の梁にも絵が描かれています。
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素晴らしいですね。川曲の方々ありがとうございます。
こんなに良くしていただき、社殿もしあわせだと思います。


追記1   算額について尋ねて見ましたが、無さそうでした。
追記2   唐獅子牡丹について。獅子は、獅子身中の虫が怖いが、牡丹からのしずくで、
       獅子身中の虫を駆除できるので、獅子が牡丹の近くにいるという事らしい。(未確認)



榛東村新井の八幡宮へ行って来ました

11月12日に、「倉賀野宿の会」の史跡見学会に参加して、
榛東村新井の八幡宮へ行って来ました。

嘉禄2年(1226年)に、桃井義胤が鎌倉の若宮八幡宮を勧請して創建したと伝えられる古社。
明治35年(1902年)12月、社殿4棟全焼。
倉賀野の大杉神社(大須伎神社)の社殿を購入し、明治41年4月新築9月落成。

「新井八幡宮」や、674番地での検索では、地図が得られません。
「榛東村新井地区文化センター」で検索すると近くに見つけられます。
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拡大図です。吹き出しは、私が付けました。説明が欲しいですよね。
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社殿は、こじんまりしています。
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こじんまりしていますが、彫刻がすごい。周りにもたくさんあります。
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本殿も細工が良い。もう少し彫刻が有ってもよさそうだが、あまりを売却したというのはこの辺りかな。
全体として、倉賀野神社の社殿に似ている、小型版というところです。
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この辺りは、近年「八幡ホタルの郷」として有名です。
清流には、貝殻や菜の葉がまかれ、カワニナやサワガニが見られました。
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道路脇には、「八幡ホタルの郷」の案内と「八舞亭」という東屋があります。
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「八舞亭」の横から、池の向こうに、八幡宮の社殿が見えます。
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榛東村新井の人々に守られて、初夏にはホタルに囲まれて、倉賀野に居るよりも幸せかもしれないと思いました。





岩櫃城跡へ行ってきました

11月12日に、「倉賀野宿の会」の史跡見学会に、(会員ではありませんが)参加しました。
見学先は、岩櫃城址,北群馬郡榛東村新井の八幡宮,前橋市川曲町の諏訪神社です。

まずは、NHK大河ドラマ真田丸で紹介された、岩櫃城です。
吾妻エリアガイドブックにも載っている岩櫃山は、バスの中で見えました。
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バスで、平沢登山口の駐車場へ到着しました。駐車場には既に20台以上の車が止まっていました。
平沢登山口の観光案内所で、ガイドさんについて、1時間の予定で中城,二の丸,本丸の見学です。
観光案内所前に、岩櫃山登山コースの案内図がありました。
1時間ですからほんの一部で、登山というよりも、ハイキングです。
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観光案内所は、標高511mでした。
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岩櫃城跡の説明板です。
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中城、二の丸と言っても何もないので、ガイドをお願いするのは必須でしょう。
空堀の中を歩いたり、坂が有ったりして、滑らないように注意が必要です。
本丸址です。
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本丸址からは、原町が見えます。
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本丸址から、のぼりとは別のルートで観光案内所に戻って1時間10分くらいでした。
ガイドさんがいろいろ説明してくれて、大変良かった。
観光案内所前に大きな、岩櫃城址縄張図という説明図があります。
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説明内容が細かく、読めません。拡大すると以下のようです。
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群馬石仏の会 第38回ふるさと石仏写真展 を見てきました

11月1日に、第38回ふるさと石仏写真展 を見てきました。

拓美の会を主宰していた、大塚省吾さんが関係していた会です。
今回は、写真展で、おもむきのある写真が展示されていました。

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案内はがき
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パンフレット
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手紙が書けなくなった

依頼をしたり、許可をお願いしたり、したいことが、いくつかあるのに依頼の手紙が書けない。
落ち着いて文章をまとめることができなくなった。
ウェブなら書けるが、手紙が書けない。
受け取った人がどのように思うかを気にして書くのは同じと思うが・・・。

毎日毎日、『今日もできなかった』が積り、新しいことができなくなった。

予定した事柄をこなす毎日が続いている。

10月15日   倉賀野宿の会 見学      倉賀野公民館

10月16日   倉賀野観光ガイドの会     ガイド対応 

10月18日   日高病院

10月21日   倉賀野観光ガイドの会     ガイド対応

10月24日   拓本同好会(拓美の会)    安中市原市の採拓 実作業

10月30日   第34回倉賀野公民館芸能祭  見学


毎日、『今日こそは手紙を書こう』『明日こそ手紙を書こう』が2週間以上続き、
書きたい手紙は、直ぐに書きたいものが3通、新しくやりたいことが3件たまってしまった。

すこしあきらめた。

『5日までに、1通書けばいいや。今日は書かなくてOK。』と決めた。
なんかすごく楽になった。




倉賀野神社 秋の例大祭

10月19日は、倉賀野神社の秋の例大祭でした。

今年は、お参りに行けませんでした。

10月20日の、上毛新聞に出ていました。

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『埼玉の算額』を読み始めました

10月18日に、足を延ばして群馬県立図書館へ行って、『埼玉の算額』を借りてきました。

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埼玉県立図書館の編集・発行でした。





表装習作展を見てきました

今日(10月18日)、日高病院へ行ったついでに、前橋まで足をのばして、
県庁昭和庁舎2階の、表装習作展を見てきました。

10月15日の上毛新聞に載っていました。
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パンフレット
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表導会の先生作品をはじめ、素晴らしいものばかりでした。
良い表装を見せていただきました。

2007年発行の『掛け軸仕立て135』では、「裱導会」と書かれていますが、
今は、「裱装」「裱具」と本来の文字は使わず、「表装」「表具」と書くのが普通に
なっていますので、「表導会」と書くようになったのでしょう。





「彩霞祭」のいしぶみの拓本展示を見てきました

10月16日の上毛新聞に、高崎商科大学の学園祭で、石碑の路に関連する展示の記事が載っていました。

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拓本同好会拓美の会で、「石碑の路」のことを知り、ウェブで高崎商科大学の再生プロジェクトを知っていました。
新聞の記事に、『新しいガイドブックを出版した』とあったので、見学と入手に行って来ました。

彩霞祭のパンフレットです。
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新しいガイドブックです。
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「石碑の路」は、昭和48年~昭和55年に、信澤克己さんが26基を建立したことに始まります。
平成20年のころには、碑の数が29基となったが、途中で放置されたものがいくつか見られました。

平成21年から、「高崎里山の会」,「観音山丘陵ネットの会」,高崎商科大学の協力で、
「石碑の路」再生プロジェクトが、15基の碑を建立したという事です。

ガイドブックには、新設された15基の碑の説明も載っていました。
既設と新設の44基の設置場所の分かるA3サイズの地図が付いています。
B5サイズで28ページで、石碑の路整備協力金1000円で購入しました。

今後の活動の一助になれば幸いです。






歴史博物館主催の、「倉賀野を歩こう」に参加しました

10月16日、群馬県歴史博物館主催の、「倉賀野を歩こう」に参加しました。

3時間にわたって、歴史博物館のジオラマを作成した学芸員さんにガイドを受けて、
倉賀野の町を歩きました。

倉賀野は、中山道の陸運と河岸の舟運を同時に持つ近世の特別な宿場だったそうです。

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説明パンフレット表紙
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