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高崎・和算愛好会 管理人ブログ

カテゴリ:未分類 の記事一覧

「和算王国・群馬」歴史や特色紹介  講演が上毛新聞に載っていました

久しぶりに、和算関連の記事が上毛新聞に載っていました。

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「倉賀野おもてなし館」が1周年を迎えました

7月3日に、『真田丸の時代の倉賀野』という歴史講話があったのですが、
参加しませんでした。

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五万石騒動義人慰霊堂へ行って来ました。

6月30日に、高崎市中央図書館に本を返却してきました。
行く途中で、大きく遠回りをして、五万石騒動義人慰霊堂へ行って来ました。

先日、明治の終わりに細野格城が書いた、『五万石騒動』という本を見せて
戴く機会があり、五万石騒動義人慰霊堂へ行ったことが無かったので。

大総代の三人が斬首になったのは、比較的知られているのですが、
倉賀野の総代の内、二人が犠牲になっていることは、あまり知られていません。

上正六の湯浅己代吉(または、三代吉)さんは、牢で取り調べ中に亡くなりました。
下正六の堀口六左衛門(または、堀口啓次郎,堀口桂次郎)さんは、
八丈島への流罪となり、明治13年にそちらで亡くなりました。

慰霊堂には、騒動犠牲者芳名 の 牢死の項に、
湯浅三代吉,堀口桂次郎とありました。
倉賀野とか正六とか無いので分かりにくいですね。

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さらさらいわし を買ってきました

いただいた「さらさらいわし」が、おいしかったという事で、
ネットで買えないか、妻に聞かれていました。

戴いたものは、コープで購入したもので、いつでも買えるわけでないとのこと。
近くのスーパーにも売っていないらしい。

ネットで検索すると、あまり売っているところが見つからない。
楽天のネットスーパーにあるので、画像を確認してもらったら
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『これで間違いない』とのこと。

購入しようとしたが、なぜか数量が5個までしか上がらない。
乾物なので、1年近くもつから、10個以上買えば送料や代引き料も我慢できるが、
単価320円が5個で、1600円なのに、送料640円代引き324円で964円では、
購入の許可が出なかった。

そこまでして、欲しいものでは無いとのこと。

昨日(6月16日)に、図書館へ行った帰りに、高崎高島屋の地下の明治屋ストアーを
覗いてみたら、「かどや さらさらいわし」が有った。
パッケージは違うが、東京町田のかどやなので同じかな?。

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うら
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ちょっと心配だが、5個買ってきた。税抜き312円×5個=1560円だった。
まだ、食べていないので、良かったか否かはわからない。

図書館から借りた本は、6冊。主なものは次のとおり。
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1991年発行の旧版(2006年発行の新訂版が良かったのだが、図書館になかった。)
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やっと、またネットにつながるようになった。

一昨日、シャットダウンしようとしたが、30分以上動作状態が続き、シャットダウンできなかった。

仕方がないので、電源ボタンの長押しで、強制的に電源オフにした。

再度立ち上げで、立ち上がるのに1時間以上かかった。

立ち上がったが、インターネットアクセスが×になっていて、メールもつながらない。

今まで、ルーターに、無線でつないでいたが、ワイヤでつないでみたら、ネットにつながった。

メールもつながった。

ノートパソコンの無線部分が故障したようだ。

中古で購入したノートパソコンなので、少し不便だが、このまま使おうと思います。

何とか、故障部分をよけて使います。




倉賀野の名所旧跡案内板について、このブログに載せるのはしばらく見合わせることにしました。

倉賀野の名所旧跡案内板について、このブログに載せるのはしばらく見合わせることにしました。

2016年5月10日のブログページ  を書いた時に、少し感じ始めていたのですが、
説明の内容に少し違和感や疑問があります。

5月20日ころには、22か所すべて見てきましたが、問題ないと思うものも
私の知識不足が心配で、ブログに載せて来ませんでした。

先日、倉賀野観光ガイドの会の研修で、大杉神社跡へ行った時に、
『大杉神社は、明治42年に八幡神社に合祀された。』という説明がありました。
私が今まで読んだ郷土史の本やブログでは、「倉賀野めぐり第三号」にだけ、
『明治42年に八幡神社に合祀された。』とあるだけで、他は、
『明治42年に倉賀野神社に合祀された。』と書かれていると記憶していたので
質問してみました。

『「八幡神社へ合祀」が本当で、「倉賀野神社へ合祀」がうそ。』という事でした。

図書館で、資料を読み直して見ました。
「倉賀野町の民俗」という高崎市が発行した本には、内部の記述に、
「倉賀野神社に合祀した」としている個所と「八幡神社に合祀した」としている個所があり、
「倉賀野神社に合祀した」としている個所は、正誤表で「八幡神社に合祀した」に
直されていました。

この時に、参考文献の誤りに気が付いていたんですね。

「神社明細帳」でという、記述もあったので、『上野国神社明細帳』の6巻,7巻を
読んでみました。
大須伎神社(大杉神社のこと)について、2件載っていました。

1件目は、6巻の63ページ,64ページです。
明治12年に、楫取群馬県令殿へ提出したものを、削除追加して使っていた記録です。
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2件目は、7巻の169ページです。
「明治40年9月20日許可、同町無格社八幡宮へ合併」とあります。
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『上野国神社明細帳』も、平成14年ころの出版物なので、二次資料には違い無いのですが
確実性は高いのではないでしょうか?
原簿は、群馬県立文書館にあるようです。文書館へ行ったらついでに聞いてみようと思います。


6月7日に、ガイドの会の研修で倉賀野神社へ行きましたが、「北向道祖神(倉賀野神社)」の
案内板が1文字訂正されていました。
神主さんが、『間違えているので直してもらいました。』とおっしゃっていました。

『・・・古神霊お焚きあげの「どんど焼き」が・・・』が
『・・・古神札お焚きあげの「どんど焼き」が・・・』に、1文字上貼りで修正されています。

確かに、御霊(みたま)を焼いてはいけません。焼くのは古いお札(ふだ)です。

神主さんに、『直せるものは直せ、ああだこうだと言っているだけではダメ』と
教えられた気がしました。

案内板については、どうしたら直せるのか?作成に加わった人の事も考えて
少し時間をかけて取り組みたいと思います。

郷土史の本などは、直せませんので、ホームページに項目を作って
調査結果を載せて行こうと思います。





倉賀野の名所旧跡案内板を見て回ってみました。

<2016_05_19 倉賀野城跡 を書き漏らしていたので、追記し 16枚を17枚に修正しました。>

高崎市の名所旧跡案内板が、倉賀野に22枚あると聞いたので、探してみました。

17枚までは見つかりました。

井戸八幡宮縁の井戸と大神輿
下正六の観音様
加賀藩御典医 森良齋灰塚
冠稲荷神社
九品寺
高札場・上町問屋場跡
新堤(通称桜木町鯉池)
諏訪神社
鼠供養塔・倉賀野八景奉納額・板碑
倉賀野宿本陣跡
倉賀野城跡
太鼓橋
中山道の一里塚跡
田屋町河岸道「馬街道と牛街道」
粕沢橋と粕沢立場跡
北向道祖神


さらに、もう1つ  小鶴巻古墳 にあるようです。

残りの4件も、じきに分かるでしょう。
17か所については、写真も撮ってきました。
多すぎるので、1か所だけ載せておきます。

加賀藩御典医 森良齋灰塚
2016_05_10_1_ 加賀藩御典医 森良齋灰塚

この案内板は、永泉寺の墓地内にありました。

こんな風に立っています。話は知っていましたが、行ったのは初めてでした。

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4月26日の上毛新聞に、大手拓次の薔薇忌が載っていました

昨年の11月に、磯部文学碑公園へ拓本を取りに行った時に、大手拓次を知りました。

その時のブログページは拓本を採りに安中市の磯部文学碑公園へ行ってきました(3)大手拓次

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上毛新聞に、倉賀野神社の春季大祭が載っていました

今年は、花粉症がひどく、神社へも行けませんでした。

上毛新聞に載った記事を見て、代わりにしました。
役員の方が、お札を届けて下さったので、奉賛会費を納めました。

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19日には、まだ、花粉症の症状がひどかったのですが、
23日ころから急速に良くなってきました。

25日には、拓本の同好会(拓美の会)で、吉岡町まで採拓に行ってきました。
4月11日に行う予定でしたが、天候の問題で延び延びになっていました。
写真は撮ってこなかったのっで、今回は文章の記録のみです。



上毛新聞に、高崎市の名所旧跡案内板が出ていました

3月23日の上毛新聞に、以前から気にしていた、案内板の記事が出ていました。

やはり、高崎市の事業でした。

183か所に立てたということだが、倉賀野には結構多い。

お彼岸で、永泉寺へ行ったが、石塔の間にも1本立っていた。

花粉の飛散が少なくなったら、少し歩いて探してみようと思っています。

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3.14 今日は円周率(パイ)の日でした。

3.14 今日は円周率(パイ)の日でした。

例年のようにパイを食べて祝いました。ひとりで。

今年は、チョコパイでした。形は、円盤なので、円理を象徴しているようです。

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亀田製菓のキャンペーンで、商品券が当たった

せんべい300円以上のレシートで応募したキャンペーンで当選しました。

3000円の商品券が送られてきました。

4か月分のせんべい代になります。

花粉ばかりで嫌な毎日ですが、多少良いこともあります。

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今朝、歌の下手なウグイスを聞きました

今朝、6時ころ、ホーケキョと鳴く声を聞きました。

まだ、歌が下手なウグイスが近くに来たようです。

元気に何回も鳴いていました。


私の方は、花粉にやられて、くしゃみと鼻水だらけで、なかなか出かけられません。

昔は、うれしい季節でしたが、今は、速く過ぎてくれるのを待つ季節です。




上毛新聞に、安中市の大手萬平さんの訃報が載っていた

2月18日に、安中市の大手萬平さんが、96歳で亡くなったそうです。

昨年末に、磯部文学碑公園へ拓本を採りに行った時に、
「大手萬平翁胸像」を見ました。
拓本を採りに安中市の磯部文学碑公園へ行ってきました
この時です。
大手萬平さんは、天保元年~大正八年で、磯部駅の土地を無償提供した方で
大手拓次さんのおじいさんです。
赤城神社の算額奉納の世話人の一人でもあります。

ところが、12月14日に書いた
磯部の赤城神社の復元算額について、資料がありました
で見つけた資料を図書館へ寄贈した人が大手万平さんだったのです。
復元算額を企画された会の会長さんも大手万平さんだったと思います。

そんなことがあるのかと思っていましたが、
現在にも大手萬平さんがおられたことが分かりました。
ご冥福をお祈り申し上げます。


やはり、史跡の案内板でした

1月には番号しか書かれていなかった板に変化がありました。

昨年の12月19日のページ  疑問に思っていたものです。

2月になって、何か書かれているようなので、気になっていました。

倉賀野町の1番地へ行ってみたのがこれです。昨年の12月20日と比べてください。
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案内板に書かれているのは、ここの4つの碑の事ではありませんでした。
「江戸時代の粕沢橋が現在の橋よりも北に有った。」と書かれていています。
それにしても、ちょっと北すぎるのでは?
この案内板と現在の粕沢橋の間くらいではないでしょうか?

現在の粕沢橋に戻って、倉賀野町から見た橋にも何か彫られているのに
気が付きました。
こちらは、ひらがなで「かすざわ」とあるようです。良く見えないですね。
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少し東へ歩いたところで、バス停の近くに、お地蔵さんがあります。
「倉賀野町交通事故犠牲者供養」とあり、昭和54年4月8日建立とあります。
ここには、案内板はありません。昭和の建立なので新しいからかな?
お花も新しく、世話をする方がしのばれます。
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道路の南側には、「103」という黄色い標識が小さく見えます。
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これは、この道路が国道17号線だった時の、起点から103Kmを示すもの
だろうと思います。
この道も、今は県道121号線なので、いまでは特になにも示していません。


さらに東へ1Kmほど歩いたところに、交差点の空き地 道路の南側に
案内板が立っていたが、なんだろう?
特になにもなさそうだが、と思ってたのが、これです。
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「一里塚の跡」ということですね。
このあたりに一里塚が有ったとは聞いていますが、正確な位置が分かりません。
「一里山とよばれていた」とあります。

この近くに、「いちりやま」という屋号の家がありますが、そういうことかと
はじめて気が付きました。

ほかの案内板も見てみよう。
安楽寺,九品寺,新堤,井戸八幡,倉賀野神社の北向き道祖神にも有ったはずです。






『ローカル路線バスの旅 第22弾』 に 大手拓次の導きか? 

1月2日のテレビ 『ローカル路線バスの旅 第22弾』を見て、
大手拓次の導き を感じました。
太川陽介さん、蛭子能収さん、南明奈さんが、水戸偕楽園から長野善光寺をめざす
路線バスの旅だが上毛新聞のテレビ欄に「群馬はトラップの連続」と太字で
書かれていたので、興味を持ち、見ました。

見終わって、『特に群馬のトラブルが多くは無い』ので、もう一度テレビ欄を見直しました。
「茨城~栃木群馬はトラップの連続」ということと分かりました。

どちらかと言えば、群馬は順調に行った方です。
そこには、大手拓次の導き があったからです。

それは、県立女子大から高崎駅へのバスに、
熊倉教授(県立女子大群馬学センター副センター長)が乗っていて、
途中のバス乗り換えや、宿泊場所を教えているからです。

熊倉浩靖教授がこんなにスラスラと教えられるのは、昨年末12月12日の
「大手拓次と磯部温泉」というシンポジウムの準備をしていたからでしょう。

熊倉浩靖教授が司会で、パネラーの内の一人が、ホテル磯部ガーデンの会長です。
前にも載せた資料ですが
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急ぎ旅と言うことで、大手拓次の紹介等はありませんでしたが、
磯部文学碑公園の日本最古の温泉記号の碑だけが紹介されました。  残念
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やっと、年賀状ができました

 2016年もよろしくお願いいたします。 

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今年は、手こずりました。
Windows10にOSを更新したら、昨年まで使っていたソフトが動かなくなりました。
『みんなの筆王』というのを買ってきて使おうとしたのですが、オンラインで使うソフトなのですが
突然「エラーが発生しました。編集を中止します」「メンテナンス中です」ばかり。

「インストール要らずで さくさく簡単に」なんて、うそばかり。

結局、Word で作りなおしました。

年賀状は、年末に集中してアクセスがあるのは当然です。
そこでホストにつながらなくなるのでは、使い物になりません。
以前に、「すかすかのおせち」が有りましたが、もっとひどいと思います。





これは、なんだろう。史跡案内板の準備中ですか?

いつからか?あまり覚えていないが、今年の夏か?

倉賀野の町を歩いていると、このようなものを見るようになった。
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木製のように見えますが、金属製です。
あまり大きくは無いので、何かの説明を書くには小さすぎるようです。

スマホで見ると何か表示されるとかなのだろうか?

いずれにしても、そのうちに分かるでしょう。


拓本を採りに安中市の磯部文学碑公園へ行ってきました (4・終) その他の詩碑

磯部文学碑公園へ拓本を採りに行った時に見た、まだ紹介していない詩碑を
載せておきます。
詩碑のほかにも碑がありましたが、良く見なかったので省略します。
周辺にも詩碑があるのですが見逃しました。

これは詩碑ではありません。
公園中央近くにあった、日本最古の温泉記号の碑です。
磯部駅前にもあったような気がします。
後ろに小さく見えるのが、萩原博志の詩碑と大手拓次の説明板です。
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若山牧水の詩碑です。
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久保田万太郎の詩碑です。
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吉野秀雄の詩碑です。
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松坂一の音楽碑です。
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うら側に、松坂一の略歴が刻まれています。
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岡田太京の詩碑です。
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うら側にも何か刻まれていますが、読めませんでした。
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湯浅半月の詩碑です。
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水原秋桜子の詩碑です。
これは、公園から少し離れた簗(やな)の近くにあります。
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以上です。









拓本を採りに安中市の磯部文学碑公園へ行ってきました (3) 大手拓次

11月30日に、磯部文学碑公園へ行ってきたときの、つづきです。

公園の入口の案内板です。萩原博志の碑の案内は載っていません。
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萩原博志の碑は、松坂一の碑と大手拓次の碑の間にあります。

この公園の碑を、ひととおり見ると、大手拓次の関連の碑が多いのに気が付きます。
文学や、詩とか、良く知らないので、大手拓次という名前も知りませんでした。

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大手拓次の碑です。真ん中にモニュメントがありますが、説明もないので良く分かりません。
写真の左端に大手拓次の説明板があります。
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大手拓次の碑は2つあり、ノートを開いたようなテーブルの上に1つ
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奥にもう一つ
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いずれも、自筆のノートを拡大して作成したものらしく、線が細く彫りも浅いので、
初心者には拓本がうまく取れそうも無く敬遠しました。


萩原朔太郎の詩碑 です。
右は、大手拓次の詩を萩原朔太郎が色紙に書いたものです。
左は、萩原朔太郎が自分の詩を書いたものです。
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どちらも、大手拓次の墓参りに神保光太郎,保田与重郎と磯部へ来たときのものです。
案内板はつぎのようなものです。
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この碑は、表を見ただけでは、案内板の意味が分かりません。
碑の裏にもう1枚あります。
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北原白秋の詩碑です。
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これは、昭和12年1月に、大手拓次の墓参りに来た時に、半切に書いたものです。


室生犀星の詩碑です。
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友と言っても、室生犀星と大手拓次の関係は微妙なものらしいが、
これも大手拓次を思って作られたものです。
自然石に彫られていて、初心者には採拓は無理です。

この公園は、 『大手拓次をめぐる友情の碑々の小公園』 と呼ばれるのが
実感できました。

帰りの磯部駅でこんなポスターがありました。
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結局行けませんでしたが、上毛新聞に載っていました。
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