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高崎・和算愛好会 管理人ブログ

拓本を採りに安中市の磯部文学碑公園へ行ってきました (2) 赤城神社

拓本を採りに行ったのですが、赤城神社が有りましたので、見てきました。

疑問が幾つも出て来てもう一度確認したいと思っています。

JR東日本の信越線の磯部駅で降りると、駅舎は改修中でしたが、
駅前はすでに整備が終わったようで、阿部真之助の恐妻の碑がありました。

 「恐妻とは愛妻のことなり」 

とあり、 上州の かかあ天下 が見直され始めたこの頃、
拓本を採るのも良いかと思ったが、イルミネーションでもやるのか採れそうも有りません。

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「愛妻 湯の町 磯部温泉」のかんばんをくぐって、少し進むと、
赤城神社と磯部文学碑公園が見えて来ました。
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ここで、最初の疑問があります。

上の写真の左端に、赤城神社と彫られた石柱が見えますが、
赤城神社の文字の上に2文字削り取った跡があります。
磯部と書かれていたのではないでしょうか?
なぜ削り取ったのでしょう?こんなに痕(あと)を残して。

赤城神社の鳥居まで進むと、比較的小さな神社であることがわかります。
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拝殿には、5枚の額が掲げられていますが、いずれも算額ではなさそうです。
ほとんど内容は読めません。額に太刀や弓矢が着いているものもあります。

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拝殿の前にこんな説明がありました。
2つ目の疑問です。
 「文化財 和算 算額(貴重品) 明治三十九年奉納品」 とあります。

ここの算額は明治20年に奉納と書かれているはずです。

めずらしいので、覚えていたのですが、中野谷村の高麗多一が
3つの神社に同時にそれぞれ7問の算額を奉納しています。
貫前(ぬきさき)神社 (上州の一宮) に 天額 (群馬の算額No.134)
咲前(さきさき)神社 に 地額 (群馬の算額No.135)
赤城神社 に 人額 (群馬の算額No.136)     いずれも明治20年です。

3つの神社とも、物部氏の一つ磯部氏に関連の深い神社です。

赤城神社の人額に関しては、記録された時にすでに傷みが激しく
第1問~第4問に関しては図の記録ができていません。

明治39年とは、どういうことなのだろう?

3つの算額は、書かれている門人50名,幹事5名は同一内容です。
補佐として書かれている各2名だけが異なります。

人額の補佐には、西上磯部村の2名、 大手萬平  城田代吉 とあります。

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磯部文学碑公園の中に、 大手萬平 の銅像が有りました。
詩人  大手拓次  の おじいさんです。  


家に帰ってから、赤城神社をもう少し調べようと、検索したら
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また、疑問です。URLから見ると、咲前神社のホームページです。
しかし、咲前神社のホームページからこの図には行けません。
咲前神社のホームページの旧安中の神社を紹介するページからだと
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こんな図になります。

いずれにしても、別の神社からの説明ですよね。
奉納は、明治20年と書かれていますが。

さらに、昭和52年に復元算額が奉納された とあります。
これも知りませんでした。





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