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高崎・和算愛好会 管理人ブログ

残念ながら、この記述はあやまりだろう

むかしを思いうかべる山車の巡行を見たら、郷土史を読み返したくなりました。

昭和41年に発行された、『倉賀野千年史』を読みなおして見ました。
2015_05_12_1_.jpg

135ページに、倉賀野の郵便局のはじまりについての記述が有ります。
 明治5年に、伝馬処を改称して、郵便局がおかれ、倉賀野は郵便取扱所と呼ばれたそうです。
 取り扱った者は、矢島易次郎⇒根岸直之助⇒須賀良次郎⇒須賀善太郎⇒大島善次郎・・・とあります。

ここで、「須賀善太郎」という名前が出ているので、驚きました。
私は、明治の倉賀野には、「須賀善太郎」はひとりしかいないと考えているからです。
倉賀野の有名な家で、代々名乗られていた名前を、新たに別の家系の人に付けないと思うからです。

私は、明治の「須賀善太郎」は、文化11年(1814年)と文政11年(1828年)に算額を奉納しているひとと
考えています。生まれは、寛政9年(1797年)なので、この人が郵便取扱者だったとする明治18年(1885年)
~明治22年(1889年)には、89歳~93歳となってしまいます。
これは、無理でしょう。

『倉賀野千年史』の記述の出典の幾つかは、明治43年7月に書かれた『倉賀野郷土史』の場合があったので
これを読んで見みました。(高崎市立図書館に、複写して製本されたものがあります。)

この資料には、ページ数が書かれていないので、表すのが難しいのですが、
第2編 人文界  第4章 公官署  第3節 倉賀野郵便局  という項目の記述が内容がほとんど同じであり、
これが出典と思われます。
しかし、この『倉賀野郷土史』には、もう一か所似た記述があります。 
第2編 人文界  第7章 経済  第4節 運輸交通  第2目 郵便電信電話 という項目がありこちらには
矢島易次郎⇒根岸清三郎⇒須賀良次郎⇒須賀喜太郎⇒大島善次郎  とあるようです。
2015_05_12_2_.jpg

手書きなので、見にくいのですが、矢印の先が 一方は「善」と読めもう一方は「喜」と読めます。
これだけでは、どちらか判断できません。
『倉賀野千年史』を書いた前沢さんは、「善」を採用したということでしょう。

『倉賀野郷土史』には、「明治42年9月25日の訓令甲第60号で急に作成を指示され、学校職員と役場吏員で
手分けして作ったため問題もあるが、作成を急いだので訂正もできていない」と、最初に書かれています。

つぎに、須賀健一氏著『須賀庄兵衛家由緒 第1部 烏川に棹さして』を読んでみました。
161ページ,162ページに、第13代須賀庄兵衛(良二郎)の役儀が書かれています。
その中の幾つかを拾うと次のようです。
明治18年12月26日 補四等郵便取扱役(月給80銭)、駅逓局駅逓総官野村靖。
               (根岸清三郎より引き継ぐ)
明治19年5月25日 三等郵便局長(倉賀野郵便局勤務)、叙判任官十等、但級下級手当、駅逓局。
明治21年5月24日 依願郵便局長辞職(須賀喜太郎に引き継ぐ)。

こちらは、辞令を写しているような記述です。
根岸清三郎⇒須賀良二郎⇒須賀喜太郎  が正しそうですね。

須賀善太郎で無かったのは、明治以降の消息をさがしている私には残念ですが、

『倉賀野千年史』の135ページの記述には、あやまりがあったと言うしかありません。


残念。






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