高崎・和算愛好会 管理人ブログ

関孝和にちなんだ、「算学塾」が藤岡市で開かれたそうです

8月27日の、上毛新聞に藤岡市で開かれた「算学塾」の記事が載っていました。

対象は、中学生だけのようですね。

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数学嫌いが多いと思っていたが、数学好きも多いらしい

和算の話をすると、『数学は・・・』とあまり話が盛り上がらないので、
数学嫌いが多いと思っていましたが、
小学生,中学生には、数学好きも多いらしい。

8月29日の上毛新聞にバンダイの調査結果が載っていました。

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私の身近の人達と、ちがうように思えます。
受験数学が、本来の数学好きを捻じ曲げるのではないだろうか?
還暦過ぎたら、小学生,中学生のころの感覚に戻って欲しい。

バンダイの調査結果は、次のとおりです。
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田口栄一先生の本を2冊購入しました

数週間、田口栄一先生の本を読んでいましたが、ウェブの古書店から2冊購入しました。

昭和63年9月20日発行の 『中島の風土』        1,140円
平成2年4月16日発行の  『高崎五万石騒動私見』  1,140円  送料360円

 『中島の風土』 
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高崎市中島町は、比較的小さな町ですが、田口先生のふるさとです。
倉賀野町の近くの町ですが、この本を読む前は、私は、中島町の事をしりませんでした。

ふるさとの歴史や風土について、いろいろ書かれていて、他の町を知る参考になります。


 『高崎五万石騒動私見』 
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細野格城著の『高崎五万石騒動』を解りやすく解説しています。
特に、高崎藩の年貢について細かく説明されています。

非常に参考になりました。


田口栄一先生の一連の著作の1冊目である『吹竹』は、
図書館にも古書店にもありませんでした。
読んで見たいのですが、残念です。



別の本にも、「群馬の算額No.111」倉賀野神社の算額の乾拓の写真が載っていた

8月21日に、高崎市中央図書館へ行って来ました。

6月に、「群馬の算額No.111」倉賀野神社の算額の乾拓の写真が載っていた本を見つけたが、
別の本にも、載っているのを見つけた。

『高崎市の文化財 -指定文化財編-』という昭和59年発行の本です。
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6月に見つけた乾拓の写真と写真自体は違うものだが、拓本自体は同じものかもしれない。

『高崎市の文化財』という本は、平成5年にも作られている。
モノクロ写真がカラー写真になってたり、分かりやすい配置になっていたり
全体的には、良くなっているが、算額に関しては、説明が省略されたりしている。
特に、倉賀野神社の算額に関しては、写真が乾拓の写真から現物の写真に変わっている。
こういうと、良くなっているように見えるが、雰囲気の分かるものから、何が書かれているか
分からないものに変わっている。

さらに奉納者の説明が、「鈴木角右衛門勝森」⇒「鈴木右衛門勝森」と誤っている。
また、乾拓を見ると11名の署名があるのが、「10名ほどが連署」⇒「10名が連署」
と間違えている。

この2点の誤りは、高崎市のホームページにも全く同じに見られる。
つまり、高崎市のホームページは、この本を見て作ったのだろう。
そのため、誤りを引き継いでしまったと思われる。


(保留)

8月6日のブログに載せた


「倉賀野町の社会科教育資料」という資料を読みました

8月4日に、群馬県立図書館へ行って来ました。

図書館で、「倉賀野町の社会科教育資料」というガリ版の資料を見つけ
読んで来ました。(禁帯出の資料なので、借りられません)

2016_08_06_1表紙

昭和31年に、倉賀野小学校の田口栄一先生が作成したもの。
当時は、高崎市へ合併する前なので、小学校は倉賀野町立でした。

倉賀野神社の算額(群馬の算額No.111)について2ページにわたり、
さらに、奉納者の鈴木角右衛門勝森について別に1ページ書かれていた。
ここに、角右衛門の系図が載っているが、私の調べたものとはかなり異なる。

角右衛門に関する記述は、「鈴木伊勢松氏の話による」とある。
伊勢松氏は、若干微妙な関係にある人と思われるので、
どこまでが正しい内容なのかは、疑問がある。

そのほか、倉賀野にあった製糸工場や、須賀工場と電修場等の話
についてなど興味深い内容が有った。





ガイドの会で、群馬県立歴史博物館へ行ってきました。

7月31日に、もう一度、群馬県立歴史博物館へ行ってきました。

フラッシュを使わなければ、写真を撮っても良さそうです。

倉賀野観光ガイドの会で行ったので、
倉賀野宿のジオラマの制作者に、詳細な説明をして戴きました。

ほぼ、250分の1で制作したそうです。
倉賀野宿の西の端、上の木戸付近です。
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もっと、よく見ると、木戸から出たばかりの人がいます。小さいですね。
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のちの倉賀野神社付近です。
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高札場付近です。
設定は、元禄16年4月11日ということで、上町の問屋場に人や馬が見えます。
倉賀野宿は、中町の問屋場が1日~10日,上町の問屋場が11日~20日,
下町の問屋場が21日~月末となっていましたから、考えられていますね。
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この写真は、上が南です。上側(南側)の脇本陣が須賀庄(すかしょう)、下側(北側)の脇本陣が
須賀喜(すかき)です。上町の問屋場は須賀長(すかちょう)です。

本陣の勅使河原(てしがわら)家 付近です。
本陣のすぐ西に大きな鳥居があります。井戸八幡の鳥居かな。
今は鳥居はありませんが、このあたりを「だいもん」と言います。
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太鼓橋付近です。元禄時代は、まだ木造の橋です。
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倉賀野宿の東の端、下の木戸付近です。
日光例幣使の一行が歩いていますね。結構な人数の行列です。
4月17日までに日光へ到着する必要があるので、ちょうど倉賀野宿あたりですね。
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河岸場付近です。この写真は上が北、下が南です。
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もう少し大きくしてみると
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ここに、 「上州艜」 とありますが読めますか?他に説明が見つかりませんでした。
読みは(じょうしゅうひらた)で良いと思います。船底が平たい川船の大型船のことです。
ジオラマを見ると、300俵積みの大型船に見えます。
浅間山の噴火の前なので、倉賀野河岸でも、300俵積みの大型船が使えたことを
表しているのでしょう。

高瀬舟の模型です。  この写真以降は、ジオラマではありません。
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「群馬の算額No.70」 鎮守社(吉岡町)の算額です。
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前面のアクリル板に照明が写り込むので、若干斜めになってしまいました。
現代的解法を追加しました。(8月3日) 下をクリックして下さい。
     群馬の算額No.70解法




三角縁神獣鏡、他の鏡等、展示品の一部です。
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その他、いろいろ。