高崎・和算愛好会 管理人ブログ

『千葉県の算額』を購入しました

『千葉県の算額』を購入しました。
アマゾンで、送料無料で、1347円でした。

「樹林寺奉額算題」の第1問,第2問が載っていました。
解法も書かれていました。

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箱入りです。表紙だけでは何の本かわかりません。




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上毛新聞に、安中市の大手萬平さんの訃報が載っていた

2月18日に、安中市の大手萬平さんが、96歳で亡くなったそうです。

昨年末に、磯部文学碑公園へ拓本を採りに行った時に、
「大手萬平翁胸像」を見ました。
拓本を採りに安中市の磯部文学碑公園へ行ってきました
この時です。
大手萬平さんは、天保元年~大正八年で、磯部駅の土地を無償提供した方で
大手拓次さんのおじいさんです。
赤城神社の算額奉納の世話人の一人でもあります。

ところが、12月14日に書いた
磯部の赤城神社の復元算額について、資料がありました
で見つけた資料を図書館へ寄贈した人が大手万平さんだったのです。
復元算額を企画された会の会長さんも大手万平さんだったと思います。

そんなことがあるのかと思っていましたが、
現在にも大手萬平さんがおられたことが分かりました。
ご冥福をお祈り申し上げます。


2月2日、ぐんま!トリビア図鑑「江戸の高等数学『和算』」が放送されました

15分番組なのに、比較的多くの内容が紹介されていました。
和算を学んでいる人には、一般的なことばかりですが、
和算になじみの薄い人には、分からないことが多かったのではないでしょうか?

いくつかの算額が紹介されていましたので、ここに載せておきます。

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小林龍彦会長から、
「関孝和」
「和算とは」
「傍書法」
について説明


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田部井勝稲事務局長から、
算額の説明と紹介


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『群馬の算額解法』
『続 群馬の算額解法』
が紹介された


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中村幸夫副会長から、群馬の和算の発展について、
関流・最上流・宮城流などの門流があったこと
関流が多かったこと
農民の門人も多かったこと   などの説明があった。


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関流を江戸で学んで、群馬に戻って広めた

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2月8日に、拓本同好会(拓美の会)に行ってきました

高崎中央公民館で、10時~です。

・拓美の会 会則を受領(新しく清書されて印字された。)
・今年の会費支払い
・会長からお話し
・連絡網の確認
・3月の『石碑の路』での採拓の予定の詳細を決定
・5月に山梨県の大門碑林での採拓を計画

・講師から、表装のための各種裏打ちの実地紹介

講師は、非常に手際よく次々と作業しているが、各工程に
ノウハウがあり、実際に自分でできるか不安に思った。
作業には、道具や広い作業場所が必要になり、
私にはかなり遠いと感じた。 少し余裕ができないと難しい。

会場への行き帰りに、倉賀野駅を使った。

1番線ホームから、高崎行きの高崎線に乗ったが、
ホームでいつも思い出すことがある。

1番線ホームと4番線ホームは、国鉄からJR東日本に変わる時に
新しく作られたものだ。見える石材も古いホームとはだいぶ違う。

これが、1番線ホーム。
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こちらが、2番線ホーム。
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黒っぽい敷石は、古くからのものです。
白っぽい敷石は、改修の時に敷かれたものです。ここは、改札が有ったところかな。
当時は、駅前から直接この黒っぽい敷石のところへ来られました。

1番線ホーム,4番線ホームができた時に、駅も橋上駅になってしまい、
階段を上り下りしないと電車に乗れなくなりました。
年寄りには、大変です。




やはり、史跡の案内板でした

1月には番号しか書かれていなかった板に変化がありました。

昨年の12月19日のページ  疑問に思っていたものです。

2月になって、何か書かれているようなので、気になっていました。

倉賀野町の1番地へ行ってみたのがこれです。昨年の12月20日と比べてください。
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案内板に書かれているのは、ここの4つの碑の事ではありませんでした。
「江戸時代の粕沢橋が現在の橋よりも北に有った。」と書かれていています。
それにしても、ちょっと北すぎるのでは?
この案内板と現在の粕沢橋の間くらいではないでしょうか?

現在の粕沢橋に戻って、倉賀野町から見た橋にも何か彫られているのに
気が付きました。
こちらは、ひらがなで「かすざわ」とあるようです。良く見えないですね。
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少し東へ歩いたところで、バス停の近くに、お地蔵さんがあります。
「倉賀野町交通事故犠牲者供養」とあり、昭和54年4月8日建立とあります。
ここには、案内板はありません。昭和の建立なので新しいからかな?
お花も新しく、世話をする方がしのばれます。
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道路の南側には、「103」という黄色い標識が小さく見えます。
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これは、この道路が国道17号線だった時の、起点から103Kmを示すもの
だろうと思います。
この道も、今は県道121号線なので、いまでは特になにも示していません。


さらに東へ1Kmほど歩いたところに、交差点の空き地 道路の南側に
案内板が立っていたが、なんだろう?
特になにもなさそうだが、と思ってたのが、これです。
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「一里塚の跡」ということですね。
このあたりに一里塚が有ったとは聞いていますが、正確な位置が分かりません。
「一里山とよばれていた」とあります。

この近くに、「いちりやま」という屋号の家がありますが、そういうことかと
はじめて気が付きました。

ほかの案内板も見てみよう。
安楽寺,九品寺,新堤,井戸八幡,倉賀野神社の北向き道祖神にも有ったはずです。






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