高崎・和算愛好会 管理人ブログ

やっと、年賀状ができました

 2016年もよろしくお願いいたします。 

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今年は、手こずりました。
Windows10にOSを更新したら、昨年まで使っていたソフトが動かなくなりました。
『みんなの筆王』というのを買ってきて使おうとしたのですが、オンラインで使うソフトなのですが
突然「エラーが発生しました。編集を中止します」「メンテナンス中です」ばかり。

「インストール要らずで さくさく簡単に」なんて、うそばかり。

結局、Word で作りなおしました。

年賀状は、年末に集中してアクセスがあるのは当然です。
そこでホストにつながらなくなるのでは、使い物になりません。
以前に、「すかすかのおせち」が有りましたが、もっとひどいと思います。





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粕澤橋の周辺、倉賀野町1番地へ行ってきました

12月8日に、倉賀野町の北東の端へ行ってきました。
旧中山道に沿って数メートルの幅で北東に伸びている先の方です。

上佐野町と倉賀野町の間を流れる粕沢川に架かるのが 粕澤橋 です。
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ここは、細野格城の著した『五萬石騒動』の102ページ「粕澤石橋投石の事」の
現場です。
倉賀野と岩鼻の間の梅の木で捕縛された、大総代佐藤三喜蔵と、岩鼻の萬屋で
捕縛された、大総代高井喜三郎の2人を、高崎城へ護送する岡っ引きと、
2人を奪い返そうとする百姓たちが、にらみ合い石を投げた現場です。

写真は、上佐野町から倉賀野町を見ています。
正面の建物は、高崎粕沢橋郵便局です。

ここから、左側を見ると、左に水門が、右にいくつかの碑が、見えます。
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ここは、古くは滝になっていたらしく、『滝を見ると、倉賀野町へ帰ってきたと感じる』と
あったのを、読んだことがあります。

水門をうらから見ると、大きな水門2つと、小さな水門1つで構成されています。
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碑は、5つ並んでいます。その右端に案内板?が立っています。
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右から2つ目の、黒い小さな碑は、左の3つの碑をここへ移した時に建てたものです。
うらに、平成4年10月 等々 彫られているが、笹が多く読めていない。
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以降は、もう少し碑文が読めてから追記します。

これは、なんだろう。史跡案内板の準備中ですか?

いつからか?あまり覚えていないが、今年の夏か?

倉賀野の町を歩いていると、このようなものを見るようになった。
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木製のように見えますが、金属製です。
あまり大きくは無いので、何かの説明を書くには小さすぎるようです。

スマホで見ると何か表示されるとかなのだろうか?

いずれにしても、そのうちに分かるでしょう。


拓本を採りに安中市の磯部文学碑公園へ行ってきました (4・終) その他の詩碑

磯部文学碑公園へ拓本を採りに行った時に見た、まだ紹介していない詩碑を
載せておきます。
詩碑のほかにも碑がありましたが、良く見なかったので省略します。
周辺にも詩碑があるのですが見逃しました。

これは詩碑ではありません。
公園中央近くにあった、日本最古の温泉記号の碑です。
磯部駅前にもあったような気がします。
後ろに小さく見えるのが、萩原博志の詩碑と大手拓次の説明板です。
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若山牧水の詩碑です。
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久保田万太郎の詩碑です。
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吉野秀雄の詩碑です。
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松坂一の音楽碑です。
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うら側に、松坂一の略歴が刻まれています。
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岡田太京の詩碑です。
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うら側にも何か刻まれていますが、読めませんでした。
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湯浅半月の詩碑です。
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水原秋桜子の詩碑です。
これは、公園から少し離れた簗(やな)の近くにあります。
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以上です。









拓本を採りに安中市の磯部文学碑公園へ行ってきました (3) 大手拓次

11月30日に、磯部文学碑公園へ行ってきたときの、つづきです。

公園の入口の案内板です。萩原博志の碑の案内は載っていません。
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萩原博志の碑は、松坂一の碑と大手拓次の碑の間にあります。

この公園の碑を、ひととおり見ると、大手拓次の関連の碑が多いのに気が付きます。
文学や、詩とか、良く知らないので、大手拓次という名前も知りませんでした。

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大手拓次の碑です。真ん中にモニュメントがありますが、説明もないので良く分かりません。
写真の左端に大手拓次の説明板があります。
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大手拓次の碑は2つあり、ノートを開いたようなテーブルの上に1つ
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奥にもう一つ
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いずれも、自筆のノートを拡大して作成したものらしく、線が細く彫りも浅いので、
初心者には拓本がうまく取れそうも無く敬遠しました。


萩原朔太郎の詩碑 です。
右は、大手拓次の詩を萩原朔太郎が色紙に書いたものです。
左は、萩原朔太郎が自分の詩を書いたものです。
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どちらも、大手拓次の墓参りに神保光太郎,保田与重郎と磯部へ来たときのものです。
案内板はつぎのようなものです。
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この碑は、表を見ただけでは、案内板の意味が分かりません。
碑の裏にもう1枚あります。
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北原白秋の詩碑です。
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これは、昭和12年1月に、大手拓次の墓参りに来た時に、半切に書いたものです。


室生犀星の詩碑です。
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友と言っても、室生犀星と大手拓次の関係は微妙なものらしいが、
これも大手拓次を思って作られたものです。
自然石に彫られていて、初心者には採拓は無理です。

この公園は、 『大手拓次をめぐる友情の碑々の小公園』 と呼ばれるのが
実感できました。

帰りの磯部駅でこんなポスターがありました。
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結局行けませんでしたが、上毛新聞に載っていました。
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『萩原博志文学碑建立記念誌』という資料もありました

高崎市立中央図書館に、『萩原博志文学碑建立記念誌』という資料もありました。

萩原博志の七回忌に当たる昭和61年に建立されたものだそうです。
建立途中の写真も載っていました。
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公園入口の案内板にも、安中市のパンフレットにも無く、
ほかの碑にある説明板も無かったので、
かなり新しい碑なのだろうとは思っていました。

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大きいので、全紙サイズ1枚使いました。初めての採拓には大きすぎました。
全体に墨を置くのは大変なので、文字のまわりだけにしました。

文学については全く分からない私が、この碑を選んだのは、
情景が理解できるように思ったからです。

私が小さいころは、養蚕をやっている農家が身近にありました。
かいこは、4回脱皮してから繭をつくるのですが、
脱皮の時は桑を食べないので、「休み」と言います。

「休み」には、それぞれ名前がついています。
繭を作る前の4回目は、「庭休み」と呼びます。

「庭休み」を終えると、かいこは4日間程度はすごい食欲で桑を食べます。
シャーと雨が降るような音がします。

私の幼いころの記憶が戻ってきました。
詩の中で、「夕立」と言っているのは、
ゴロゴロという音で無く、夕立雨のザーザーという音だと思います。


1枚目は、大きく 手こずったので、2枚目は小さい碑を選びました。
全紙の半分で採ったのですが、4割くらい余りました。
小さいので、碑の外形も分かるように採りました。
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短い詩の中に、「夏」という漢字が2度ある、これで良いのかと思いましたが、・・・
「クマ」というのは、熊では無くて、黒い飼い犬の名前だろうと思います。




磯部の赤城神社の復元算額について、資料がありました

先日、磯部文学碑公園に拓本を採りに行った時に、近くの赤城神社について書きましたが
『赤城神社の復元算額』という資料が、高崎市図書館で見つかりました。

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なんと、群馬県和算研究会の名誉会長 大竹茂雄 先生の著書でした。
     もう、知らないことばかり。
なんと、なんと、 大手万平氏寄贈 なんて書いてあります。
     これは、大手万平氏を顕彰して書かれたものでしょう。
     大手萬平翁は、大正8年12月に亡くなっていて、この資料が作られたのは
     昭和52年ですから。

昭和52年には、すでに人額は無くなっていたようですが、無くなる前の写真が載っています。
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『群馬の算額』には、問1~問4の図がありませんが、読めなかったのでは無く、
物理的に欠けていたんですね。
以前の調査時に拓本(乾拓)を採ったのですが、記録できなかったそうです。

『高麗多一の子孫である高麗直太郎氏宅に算題7問を記した巻紙の遺稿が保存されており、
その中の1つの問題は人額の第7問と一致することが分かった』ということで、
失われた『第1問から第4問の代りの算題を、遺稿の中から選んで復元』したということです。

復元算額の内容は次のとおりです。
問1,問2 の部分は
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問3,問4,問5 の部分は
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問6,問7 の部分は
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問題の解き方等も書かれていました。興味のある方は高崎市立図書館で見てください。

問5,問6,問7の解法については、『続 群馬の算額解法』にも載っています。







拓本を採りに安中市の磯部文学碑公園へ行ってきました (2) 赤城神社

拓本を採りに行ったのですが、赤城神社が有りましたので、見てきました。

疑問が幾つも出て来てもう一度確認したいと思っています。

JR東日本の信越線の磯部駅で降りると、駅舎は改修中でしたが、
駅前はすでに整備が終わったようで、阿部真之助の恐妻の碑がありました。

 「恐妻とは愛妻のことなり」 

とあり、 上州の かかあ天下 が見直され始めたこの頃、
拓本を採るのも良いかと思ったが、イルミネーションでもやるのか採れそうも有りません。

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「愛妻 湯の町 磯部温泉」のかんばんをくぐって、少し進むと、
赤城神社と磯部文学碑公園が見えて来ました。
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ここで、最初の疑問があります。

上の写真の左端に、赤城神社と彫られた石柱が見えますが、
赤城神社の文字の上に2文字削り取った跡があります。
磯部と書かれていたのではないでしょうか?
なぜ削り取ったのでしょう?こんなに痕(あと)を残して。

赤城神社の鳥居まで進むと、比較的小さな神社であることがわかります。
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拝殿には、5枚の額が掲げられていますが、いずれも算額ではなさそうです。
ほとんど内容は読めません。額に太刀や弓矢が着いているものもあります。

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拝殿の前にこんな説明がありました。
2つ目の疑問です。
 「文化財 和算 算額(貴重品) 明治三十九年奉納品」 とあります。

ここの算額は明治20年に奉納と書かれているはずです。

めずらしいので、覚えていたのですが、中野谷村の高麗多一が
3つの神社に同時にそれぞれ7問の算額を奉納しています。
貫前(ぬきさき)神社 (上州の一宮) に 天額 (群馬の算額No.134)
咲前(さきさき)神社 に 地額 (群馬の算額No.135)
赤城神社 に 人額 (群馬の算額No.136)     いずれも明治20年です。

3つの神社とも、物部氏の一つ磯部氏に関連の深い神社です。

赤城神社の人額に関しては、記録された時にすでに傷みが激しく
第1問~第4問に関しては図の記録ができていません。

明治39年とは、どういうことなのだろう?

3つの算額は、書かれている門人50名,幹事5名は同一内容です。
補佐として書かれている各2名だけが異なります。

人額の補佐には、西上磯部村の2名、 大手萬平  城田代吉 とあります。

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磯部文学碑公園の中に、 大手萬平 の銅像が有りました。
詩人  大手拓次  の おじいさんです。  


家に帰ってから、赤城神社をもう少し調べようと、検索したら
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また、疑問です。URLから見ると、咲前神社のホームページです。
しかし、咲前神社のホームページからこの図には行けません。
咲前神社のホームページの旧安中の神社を紹介するページからだと
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こんな図になります。

いずれにしても、別の神社からの説明ですよね。
奉納は、明治20年と書かれていますが。

さらに、昭和52年に復元算額が奉納された とあります。
これも知りませんでした。





拓本を採りに安中市の磯部文学碑公園へ行ってきました  (1)

11月30日に、安中市の磯部文学碑公園へ行ってきました。
「拓美の会」(拓本同好会)の展示会を見てから、参加させてもらい、
いろいろ教えてもらっています。

今回は、2点の拓本を採りました。
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1枚目は、かなり大きな碑を選んでしまったので、文字の近くだけ墨を付けました。
写真では、このようなものです。
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ここの碑は、文字に白い塗料が入れてあり読みやすいですね。
あとで、碑の裏を見たら、建立時の説明がありました。
狭くて、写真がうまく取れなかったので、内容を書いてみました。
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2枚目は、かなり小さい碑を選びました。碑の石の外形まで墨を付けました。
写真では、このようなものです。
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こちらも、碑の裏に建立時の説明がありました。
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はやく気がつけば、碑の裏の拓本も採れたでしょうが、残念ながら帰る前でした。
次はがんばろう。
初心者としては、これで満足です。

磯部から見る妙義山(みょうぎさん)は、すごいですね。
迫力を感じます。倉賀野から見えるすがたとは、だいぶ違います。
磯部公園から見た妙義山です。ごつごつと、岩が盛り上がって行くようです。
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碓氷川の簗(やな)の近くから見た、妙義山です。
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帰りの磯部駅から横川方面を見た、妙義山です。
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写真では、感じた迫力を表せません。

他にも、いろいろ見て感じて来ましたので、-(2),-(3),-(4)くらいまで続きます。






一関市博物館から、平成27年度の和算問題が出題されました

12月1日、一関市博物館から、平成27年度の和算問題が出題されました。

問題は、初級,中級,上級の3問。
締め切りは、平成28年1月20日です。

昨年、初めて参加し、3問とも正解しました。今年も参加したいと思います。
問題を載せて置きます。
興味のある方は、一関市博物館の問題のページへどうぞ。

一関市博物館 和算に挑戦 27年度問題

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