高崎・和算愛好会 管理人ブログ

『幕末の偉大なる数学者』を読み返してみた。

『幕末の偉大なる数学者』を読み返してみた。

2015_05_29_01.jpg
2015_05_29_02.jpg

以前は、内容がむつかしく、あまり理解できなかったが、今回読んでみてすこし理解できるところが
増えました。

p445~p452に、『算法円理新々』附録第六問の現代解について、説明が載っています。
この問題は、周転円(Epicycle)に関する称平術の問題で、この現代解は、
群馬の算額106第6問の現代解を考えるうえで、非常に参考になりそうです。
それというのも、群馬の算額106第6問は、
周転円(Epicycle)の半分に関する称平術の問題だからです。

やっとこれが理解できました。

称平術を学んでから、前に考えていたことから少し進んだと思います。

ここで、『幕末の偉大なる数学者』のp445~p452に、『算法円理新々』附録第六問の現代解を
じっくり読んで、理解しようと思います。






スポンサーサイト

ぐんまトリビア図鑑で紹介された、小松屋と仲よし食堂へ行ってきました

5月23日に、桐生へ行く用事が有ったので、ぐんまトリビア図鑑で紹介された
小松屋と仲よし食堂へ行ってきました。

途中で見つけた「桐生まちなか探訪マップ」に、位置を書きこんでみます。
2015_05_26_12.jpg

≪小松屋≫
お店は、外装工事中でした。花パンののぼり旗がないと、見逃しそうでした。
2015_05_26_02.jpg

花ぱん12個入り税別700円でした。
2015_05_26_09.jpg

花ぱんは、天満宮の菅原道真の梅の花をかたどっているそうです。
2015_05_26_11.jpg


≪仲よし食堂≫
近くに行ったら、すぐに分かりました。
2015_05_26_03.jpg

じゃが入りやきそば500円を食べました。
小供洋食+やきそばなのかと思ったが、それほどじゃがいもは多くありません。
見たところ、やきそばに隠れて、じゃがいもはあまり見えません。
2015_05_26_05.jpg


ビスロールは、次の機会のおたのしみとしました。



『コマ大数学科』の背景の和算問題(2)

右側の和算問題は、あまり写ることが無く、全体が見えることがほとんどない。

書き出しのところで誤字が有るように思います。

今有如圓外圓・・・と書かれているが、意味を考えると、
4文字目は(円)ではなく(図)であろうと思う。

スタジオ用に作るときに間違えたのではないだろうか?

全体を書きなおして見ると、次のようになる。
2015_05_21_2.jpg

問題の意味は、「図のように、外円内に、大円と菱形が接している。その間に甲円,乙円,丙円,丁円が
それぞれ2個累接する。ここで、外円の直径,大円の直径が分かるとき、甲円の直径,乙円の直径
丙円の直径,丁円の直径はいくらか?求める方法は?」というようなものだろう。

私には、解けそうに有りません。
今年の11月末を目標に考えてみようと思います。

解けた人は、連絡下さい。掲示板に何か書いて頂ければと思います。
掲示版には、「私」とか、幾つかの禁止語句が有ります。
ホームページには、メールアドレスも載せてあります。

以前に放送していた、『コマ大数学科』の背景の和算問題(1)

久しぶりに、『コマ大数学科』のビデオを見ました。(廃棄のために整理中に、見てしまった。)

この番組の背景には、和算問題を書いた額が2面つかわれています。

実は、私の記憶には1面しか有りませんでしたが、ビデオを見ると2面あります。

この問題に、番組で触れているのを見た記憶は、有りません。

何度か和算の問題も取り上げられていましたが、・・・

向かって左側の解答者席のうしろのものがこれです。
2015_05_20_hidari.jpg

向かって右側は、戸部洋子アナウンサーのうしろに写っているものです。
2015_05_20_migi.jpg


難しそうな問題ですが、解けますか?右側の問題を見やすく書いてみました。
2015_05_20_1.jpg


簡単に言うと、「図のように、外円の中に甲,乙,丙の3つの円と2つの弦が接している。
ここで、甲円の直径が5.6 ,乙円の直径が12.4 丙円の直径が8 のとき、
外円の直径はいくらか?」ということです。


左側の問題は、少しあとで、『コマ大数学科』の背景の和算問題(2)として、追加します。

第11回全国和算研究大会(長野大会)の案内を入手しました

今回も、参加できませんが、第11回全国和算研究大会(長野大会)の案内を入手しました。

興味のある方は、参考にして下さい。参加申込の締め切りは、6月30日(火)です。

関連するページ   2014/10/20 全国和算研究会について

2015_05_15_1_.jpg
2015_05_15_2_.jpg
2015_05_15_3_.jpg

残念ながら、この記述はあやまりだろう

むかしを思いうかべる山車の巡行を見たら、郷土史を読み返したくなりました。

昭和41年に発行された、『倉賀野千年史』を読みなおして見ました。
2015_05_12_1_.jpg

135ページに、倉賀野の郵便局のはじまりについての記述が有ります。
 明治5年に、伝馬処を改称して、郵便局がおかれ、倉賀野は郵便取扱所と呼ばれたそうです。
 取り扱った者は、矢島易次郎⇒根岸直之助⇒須賀良次郎⇒須賀善太郎⇒大島善次郎・・・とあります。

ここで、「須賀善太郎」という名前が出ているので、驚きました。
私は、明治の倉賀野には、「須賀善太郎」はひとりしかいないと考えているからです。
倉賀野の有名な家で、代々名乗られていた名前を、新たに別の家系の人に付けないと思うからです。

私は、明治の「須賀善太郎」は、文化11年(1814年)と文政11年(1828年)に算額を奉納しているひとと
考えています。生まれは、寛政9年(1797年)なので、この人が郵便取扱者だったとする明治18年(1885年)
~明治22年(1889年)には、89歳~93歳となってしまいます。
これは、無理でしょう。

『倉賀野千年史』の記述の出典の幾つかは、明治43年7月に書かれた『倉賀野郷土史』の場合があったので
これを読んで見みました。(高崎市立図書館に、複写して製本されたものがあります。)

この資料には、ページ数が書かれていないので、表すのが難しいのですが、
第2編 人文界  第4章 公官署  第3節 倉賀野郵便局  という項目の記述が内容がほとんど同じであり、
これが出典と思われます。
しかし、この『倉賀野郷土史』には、もう一か所似た記述があります。 
第2編 人文界  第7章 経済  第4節 運輸交通  第2目 郵便電信電話 という項目がありこちらには
矢島易次郎⇒根岸清三郎⇒須賀良次郎⇒須賀喜太郎⇒大島善次郎  とあるようです。
2015_05_12_2_.jpg

手書きなので、見にくいのですが、矢印の先が 一方は「善」と読めもう一方は「喜」と読めます。
これだけでは、どちらか判断できません。
『倉賀野千年史』を書いた前沢さんは、「善」を採用したということでしょう。

『倉賀野郷土史』には、「明治42年9月25日の訓令甲第60号で急に作成を指示され、学校職員と役場吏員で
手分けして作ったため問題もあるが、作成を急いだので訂正もできていない」と、最初に書かれています。

つぎに、須賀健一氏著『須賀庄兵衛家由緒 第1部 烏川に棹さして』を読んでみました。
161ページ,162ページに、第13代須賀庄兵衛(良二郎)の役儀が書かれています。
その中の幾つかを拾うと次のようです。
明治18年12月26日 補四等郵便取扱役(月給80銭)、駅逓局駅逓総官野村靖。
               (根岸清三郎より引き継ぐ)
明治19年5月25日 三等郵便局長(倉賀野郵便局勤務)、叙判任官十等、但級下級手当、駅逓局。
明治21年5月24日 依願郵便局長辞職(須賀喜太郎に引き継ぐ)。

こちらは、辞令を写しているような記述です。
根岸清三郎⇒須賀良二郎⇒須賀喜太郎  が正しそうですね。

須賀善太郎で無かったのは、明治以降の消息をさがしている私には残念ですが、

『倉賀野千年史』の135ページの記述には、あやまりがあったと言うしかありません。


残念。






5月5日は、倉賀野町上町の山車が町内を巡行しました

こどもの日に、倉賀野町上町(くらがのまちかみちょう)の山車(だし)が、町内を巡行しました。

上町は、比較的広く大きいため、現在は上町第1~上町第4の4つに分けられています。

従来の山車の巡行は、旧中山道のみが多かったのですが、今回は、4町内を細かく巡行しました。

12時~17時と5時間も、ちょっとたいへんそうでした。

連休の真ん中なので、出たくても出られないこどもたちもいたのではないでしょうか。

巡行ルートが良くわからず、突然出合って撮った写真です。
2015_05_05_1.jpg
2015_05_05_2.jpg