7月12日に、倉賀野の安楽寺近くの歩道橋のたもとで、新しい八丁じめを見た。
「先ほど、小型トラックに乗った人たちが付けていた。」とのこと。
「祇園祭りに関係している。」とか「農休み」の前とか聞くが良く分からない。
『倉賀野物語』という本には、
『八丁〆は安楽寺が発行元である。これは疫病除けの神で・・・伝染病を町内毎に
しめだしてしまうという意味・・・青竹に厄除け札と〆をつけて字(あざ)境いに立てる。』
とある。

歩道橋のたもとの 八丁じめ。

厄除け札? ピントがずれた。

古墳の近くの 八丁じめ。むこうに見えるのは、大鶴巻古墳。

厄除け札。
《7月14日追加》

倉賀野の脇本陣須賀喜太郎宅(今はメンテナンス中〉の東側にも、八丁じめが有った。

厄除け札が付いている。
道路の先に見えるのが、群馬銀行倉賀野支店、もう一つの倉賀野の脇本陣須賀庄兵衛跡の東半分に立っている。

倉賀野の仲町の山車倉では、祭り(?)をやっていた。
祇園祭りだろうか、八坂大神と書いた万灯が左右に有るので、たぶんそうだろう。これも疫病除け。
小さい頃の思い出に無い。
思い出には、かすかに、『てんのうさま』とか『万灯行列』『戦い終わって、万灯をひきずって、
雷雨の中を帰る人々』がある。これは何だろう?。
《7月17日追加》

倉賀野の西側の並木跡にも、八丁じめがあった。
少し見にくい写真になってしまったが、真中の松の手前。

厄除け札は、破れてすでに無い。竹に付けたこよりの部分が残るのみ。
江戸の頃は、高崎から倉賀野の間に、並木が有った。杉に松が混じっていたという。
近年、道路の中央分離帯として、並木が復活したこともあったが、出動中の消防車が乗り上げて
何人も亡くなる大事故を起こしたりして、また無くなった。
今は、道路の北側にわずかに松の植林があるのみ。
《7月21日追加》
倉賀野の九品寺(くほんじ)の角でも、八丁じめらしきものを見つけた。

近寄って見ると、厄除け札が付いている。

高崎市市民活動センター(ソシアス)へ行く途中で、八丁じめらしい笹竹を見つけた。
ここは、引間(ひきま)町と棟高(むなだか)町の境(さかい)なので、八丁じめだろう。
厄除け札が無いのが残念。

近くで見ると、厄除け札は無いが、付いていたらしき こより が見えた。

《7月25日追記》
図書館で本を読むと、八丁じめ が載っていたので、上げておきます。
『上州路 その旅人たち』の小林一茶の記事の中に紹介されています。


下は、前にも書いた、『倉賀野物語』です。
少し疑問に思う記述もありますが、昭和の頃の写真が乗っています。
厄除け札らしきもののほかに、御幣らしきものが付いているようです。
