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高崎・和算愛好会 管理人ブログ

倉賀野の冠稲荷神社(かんむりいなりじんじゃ)へ行ってきました(2)

4月26日に行って来た前の記事のつづきです。

次は、倉賀野神社の冠稲荷です。

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  倉賀野神社の正面です。

  右手に、参集殿を建築中です。
  前の建物よりも大きくなった
  ようです。



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  冠稲荷の正面です。
  こぢんまりした祠です。
  


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  元治(げんじ)元年(1864年)
  とあります。
  これも移築されたものでしょう。
  



倉賀野神社の冠稲荷はここまでです。
前橋川曲町の諏訪神社へは、行ったことがありませんが、社殿は残っているのでしょうか?


おまけの1

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  倉賀野宿の上の木戸あたりです。
  
  左右に走っているのが中山道、
  左は高崎宿へ至ります。

  ここから右が倉賀野宿です。

  前に走る道が手前に来て急に
  太くなっていますが、ここは
  数年前から道になりました。

  江戸の頃は「辻番」があった
  ところです。
  昭和40年ころまでは、
  「ひのみやぐら」がありました。
  



130426_3002.jpg

  右の絵図の右半分のところ。
  
  この絵図には安楽寺も見えます。

  旅のウェブページの中に、
  安楽寺の手前の歩道橋あたりを
  上の木戸としているものが
  ありますが、少しずれています。
  



おまけの2

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  氷室京介さんの実家の跡

  なにも無くなってしまいました。

  先日、ファンに放火され  
  無残に放置されていました。
  
  もらい火で全焼したお宅も
  かたずけられました。

  再建されるのでしょうか
  
  



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  4月8日の同じ場所です。
  










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倉賀野の冠稲荷神社(かんむりいなりじんじゃ)へ行ってきました(1)

4月26日に、倉賀野の冠稲荷神社(かんむりいなりじんじゃ)へ行ってきました。

「群馬の算額No.106」が掲示されたと記録のある神社です。

しかし、倉賀野の冠稲荷神社は若干複雑です。

算額が掲示されたのは、慶応元年(1865年)です。
場所は倉賀野の横町(よこまち)の冠稲荷神社でしょう。
しかし、明治42年(1909年)に、社寺廃合令により、
倉賀野の上町(かみちょう)の後の倉賀野神社に併せられました。
常夜灯と石玉垣は倉賀野神社に移され、社殿は前橋川曲町の諏訪神社に売られたそうです。
その後、「町の人の夢にお稲荷さんが出て『元の場所に戻りたい』と泣く」ということで、
昭和11年(1936年)に横町に再建されています。

まず、倉賀野の横町(よこまち)の冠稲荷神社です。
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  横道の奥に鳥居が見えます。
  鳥居の先に見えるのは、
  横町公民館です。


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  近くに行くと、
  右手に社殿が見えます。
  写真は東を見ているのですが
  社殿は東が正面なので
  ぐるっと回りこみます。


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  社殿の正面です。


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  昭和11年  共和会
  とあります。


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  社殿の右側に
  2面の額があります。


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  大きな額では、
  「共和会一同」しか
  読み取れません。
  算額では無さそうですが
  77年くらい経つと
  こんなになるんですね。


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  小さな額は、
  歌が書かれている
  ようです。



しかし、不思議ですね。
「算額は、大きな神社や寺に奉納された。」と聞いているんのですが、
なぜ、ほかに合わされてしまうような神社に掲げたのだろう?
それも、それほど近くの人では無い・・・・。

明治42年には、算額が残っていたのではないでしょうか?
掲額から、約44年ですから。

横町の冠稲荷はここまでです。長くなったので、一度終わります。