高崎・和算愛好会 管理人ブログ

久留米の和算学習会 を見つけました。

このところ、天候も良く、狭い庭の草取りに骨が折れて、なかなか落ち着いて和算を学べません。
細切れの時間にネットで、久留米の和算学習会に参加した方のブログを見つけました。

うらやましいですね。
高崎・和算愛好会の目標としている姿に非常に近いです。

2か月に一度程度集まっているようです。
こちらでは、公民館の部屋を借りるにしても、5~6人のメンバーがいないと借りられないようです。

高崎・和算愛好会もなんとか、5~6人のサークルになりたいですね。

久留米の和算学習会 発足
久留米の和算学習会 第5回
久留米の学習会 いままでの活動

いくつも貼ってしまいましたが、同じブログのページが違うだけです。

久留米の和算学習会で、講師をしている方は、「長崎和算研究会」の方のようです。
「長崎和算研究会」はホームページをもっていないようですが、講師の先生のホームページとブログがありました。
合わせて、高崎・和算愛好会のホームページのホームページ集に追加しました。

わたしも、当初の方針と離れたように思います。初心に戻って、ホームページも見直しをします。

《2013年6月3日追記》
「久留米の和算学習会」について、うらやましいと思っていたのですが、
2012年の3月までの記録しかウェブに載っていません。

2012年4月以降1年以上開かれていないのでしょうか?
詳細を御存じの方は教えて下さい。

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高崎学検定 第4回プレ講座「古墳から探る古代高崎の地域力」を聞いてきました

今日は、古墳の話を聞いて来ました。

この辺りには古墳がたくさん有ります。
このブログで以前に書いた倉賀野の安楽寺も、安楽寺古墳という円墳です。

安楽寺の近くには、浅間山古墳(せんげんやまこふん、古文書では千間山とも書かれている。)や
大鶴巻古墳(おおつるまきこふん),小鶴巻古墳(こつるまきこふん)という前方後円墳があり、
以前には、小さな円墳や方墳まで入れると2キロ平方程度の中に200基以上ありました。

いまでは、大きなものを残して、小さなものはほとんど削平されてしまいました。
耕して、田畑にしてしまったということです。
わたしが小さい頃は、畑の中から土器のかけらが時々見つかったものです。

今日の講座では、このちかくでは、浅間山古墳(せんげんやまこふん)だけが説明されましたが、
時代別に興味深い説明があり、大変楽しいものでした。

興味のある方は、下から高崎学検定の説明に行けます。まだ、第4回の講座の資料や音声は載って
いませんが、じきに載ると思いますので少しお待ち下さい。

高崎学検定 プレ講座

『上毛の和算』丸山清康著を読みはじめる。

jyoumounowasann.jpg

「群馬の算額№28」を奉納した須賀宇太郎晴識、「群馬の算額№46」を奉納した須賀善太郎吉辰は、算額に
小野栄重門人とある。
小野栄重について知りたいと思い、『上毛の和算』丸山清康著(昭和47年発行)を読みはじめた。
本は、高崎市立図書館で借りました。

著者の丸山清康先生は、群馬県和算研究会の初代会長の丸山恒康先生のお兄さんです。
丸山清康先生は、昭和41年に亡くなられているので、先生を慕う人々が、先生の研究論文や雑誌に書いた記事を編集して発行したものと思います。
なお、群馬県和算研究会が発足したのは、昭和44年です。
このころの先人達の努力の結果、和算の資料が散逸せず残ったものと思い敬意を表します。

国会図書館が近代デジタルライブラリーで公開している『弧背術解』は、変

これは、高崎・和算愛好会の掲示板に書いたことの詳細です。

『弧背術解』を読もうと、国会図書館が近代デジタルライブラリーでインターネット公開している
昭和12年に古典数学書院が発行したものを入手した。
初めのページから少しおかしかったが、4ページ目の平方綴術の式が理解できない。
20130513_1_1.jpg

ここは、『右の傍書法で書かれた式の、数字の係数を計算すると左の式になる』と言っているとおもうが、
右の式の係数を計算しても左の式にならない。


たとえば、「三サ」とある部分。右の式は分母に2x3x8があり、左の式の分母48とあっているが、
右の式の分子にある3が、左の式の分子に無い。

「四サ」は、右の式の分母に4x3x16とあるがこれを計算しても192、左の式の分母は384。
右の式の分子は3x5とあるが、左の式の分子は無い。

「五サ」も「六サ」も・・・。
右の式では、「四サ」「五サ」の分母に「2x」が漏れている。
左の式では、「三サ」「四サ」「五サ」「六サ」で分子の数字係数がすべて漏れている。

いったい、古典数学書院はどっから持ってきたのだろう?他も信用できないので、ほかの『弧背術解』を
読むことにした。


東北大学附属図書館の和算資料データベースの、F004-25の『弧背術解』
の同じ部分は次のようになっている
20130513_3_1.png
20130513_2_1.png

これも、右の式の「一差」の分母から「2x」が漏れている。
このくらいの写し漏らしなら、なんとか補って読める。

倉賀野の冠稲荷神社(かんむりいなりじんじゃ)の関連(3)

今日、5月9日に、前橋市川曲町(かわまがりまち)の諏訪神社に行ってきました。
「倉賀野の冠稲荷神社(かんむりいなりじんじゃ)へ行ってきました(3)」というタイトルにしようと思いましたが、少し違うのでタイトルを変えています。(1)(2)に続く(3)でこれが最終です。


20130509_002.jpg
 川曲町(かわまがりまち)の
 諏訪神社の正面です。



20130509_001.jpg
 少し離れたところから見た図。
 左に見える建物は
 川曲町公民館です。
 
 真中に碑が有ります。 



20130509_003.jpg
 社殿の柱には、
 きつねの彫物が有ります。


20130509_006.jpg
 このにもやはり
 きつねの彫物が有ります。

 諏訪神社には、きつねは
 関係ないですよね。

 きつねは、稲荷のお使い
 ですから、・・・
 この社殿は冠稲荷神社から
 来たものでしょうか?


20130509_007.jpg
 社殿の左右の壁には、
 これはなんでしょう?
 浮彫が有ります。



20130509_009.jpg
 横へ回ってみますと
 だいぶ痛んでいます。
 神社は、前に拝殿があり、
 奥に本殿があるものが多いのですが
 ここも同じとすると、
 本殿がかなり傷んでいます。

 これはなんとか補修して
 欲しいものです。
 川曲町の方々よろしくお願いします。



20130509_010.jpg
 石碑には、
 「神社合祀記念碑」とあり、
 昭和11年4月9日とあります。



20130509_011.jpg
 石碑の裏には
 「由緒記」とあり、
 漢字がびっしり並んでいます。

 中に、明治43年8月とか
 昭和11年4月9日に
 社務所が竣工したとか
 あります。



由緒記
 「由緒記」は
 おおよそ左のようです。
 幾つか怪しい漢字が
 ありますが。

 明治43年8月に神殿を
 改築したとあるようなので
 このときに冠稲荷の社殿を
 用いたのでしょう。

 昭和11年に社務所竣工
 とあります。
 この社務所がどれなのか
 分かりませんが、
 神殿は明治43年のものの
 可能性もあります。

 「宇迦御魂」とあり「天狐」
 に関係ありなのか?
 稲荷三神の主神では?
 これなら、きつねの彫物は
 妥当?????



掲額された可能性のある個所は確認できましたが、額は、やはりありませんでした。
  

群馬の算額№46の問題を掲示しました

群馬の算額№46の問題を高崎・和算愛好会のホームページに掲示しました。

問題は、2問あります。

第1問は、まだ解けていません。

第2問は、解法例が1つあります。これとは別の解法を検討中です。

解けた方は、ホームページに載せてあるメールアドレスまで連絡下さい。
賞品等は有りません。

カテゴリ分類を始めました

今までは、すべて「未分類」としてきたのですが、和算とは離れた個人的な事も書く事があるので、分類をしました。

わたしの先祖しらべ

さきほど、高崎・和算愛好会の掲示板に、『わたしが和算を始めたきっかけ』について書きました。
そのなかに、『先祖しらべ』をしたことを書きました。

早期退職後、再就職できず、病気もして、年金はまだもらえず、非常に経済的に苦しい状態でできるかぎりお金がかからないようにやりました。参考になるかも知れませんので詳細を書いておきます。

1.除籍謄本の取得
  わたしの場合は、父親も母親もすでに他界していますので、まず、父親の除籍謄本を取ります。

  父親の本籍のある自治体の役所、私の場合は市役所の出先の市民サービスセンターへ行きました。
  身分証明書が必要です。また、取得できる範囲は、自分及び妻の直系の先祖に限られます。

  わたしの場合は、父親の除籍謄本と請求の用紙を書いて、使用の理由は、先祖供養のためとしました。
  窓口で係りの人に渡す時に、『先祖供養のためなので、たどれるだけ先祖の除籍謄本が欲しいのですが』
  と相談しました。

  後は、係りの人がこんなのがありますがと幾つか端末を操作しながら話してくれました。
  1通750円です。この金額は自治体によって変わるそうです。

  先祖の本籍が、同じ自治体で無い場合は少し大変かも知れませんがわたしの場合は問題なしでした。
  取得できた除籍謄本は下記のとおりです。

  (1)父親が戸籍筆頭人の改製原戸籍の謄本・・・・・・・・・平成10年5月2日消除のもの
       わたしは早く父親を亡くしたので、命日は知っていたが、誕生日は知りませんでした。
       なんと、父親の誕生日はわたしの妻の誕生日と同じでした。

  (2)祖父が戸主の戸籍の除籍謄本・・・・・・・・・・・・・昭和30年6月29日消除のもの
       祖父は2度結婚していて、わたしがどちらの祖母の系統かわかりました。
       父親に夭逝した弟がいたことも分かりました。位牌のいくつかが分かりました。
       祖父が分家しているのですが、その日にちが分かりました。
       このころは、戸籍も今とは違い、孫も同じ戸籍に入っています。

  (3)曾祖父が戸主の戸籍の除籍謄本・・・・・・・・・・・・昭和4年2月26日消除のもの
       ここには前戸主の曾祖父の父親が、「隠居」として載っています。
       後で郷土史を見て分かったのですが、高崎五万石騒動に参加した百姓として名があります。
       さらに、このご隠居の父親の名前が書かれています。わたしが小学校の時に先生から
       『おまえの先祖に算額を奉納した人がいる』と聞いた名前がそこにありました。
       この戸籍は、明治6年4月15日から始まっていました。

  (4)母方の祖父が戸主の戸籍の除籍謄本・・・・・・・・・・昭和36年8月28日消除のもの
       この戸籍は、大正元年9月26日から始まっていました。

   2年ほど前に、消除された戸籍の保存期間が80年から120年か150年に延長する法律改正が
   ありました。しかしすでに遅く、(4)の前の大正元年(1920年)に消除された戸籍は
   2000年に保存期間を満了して永久に廃棄されてしまったようです。

2.旧土地台帳の写しの取得
   土地台帳は、地租の台帳として作られたものですが、昭和25年~昭和30年ころに
   税務所から法務局に管理が移管されています。
   昭和35年には土地台帳法が廃止になっているようなので、その後は法務局が仕方なしに
   持っているようです。

   古い土地の地番の所有者名の変遷が書かれています。
   その地区を管轄する法務局の支所へ行けば、コピーが貰えるはずです。

   本来の法務局の業務では無いらしく、土地の登記書のコピーは有料なのに、
   旧土地台帳のコピーは無料です。
   請求の用紙も書き方も有りませんので、申し訳なさそうにしながら、「旧土地台帳のコピーが
   欲しいのですが、どのようにすればよいですか」と窓口で聞く必要があります。

   閲覧をさせてくれたこともあるのですが、この頃は、コピーを貰えるだけです。

3.壬申地券地引絵図 等の閲覧
   これは、明治6年の地租改正に伴って、土地の所有者の名前と土地の区別と面積が地図に
   書かれたものです。
   これにより、土地を所有していれば、場所と名前が分かります。

   群馬県の場合は、群馬県立文書館に1188葉保存されています。実物は見られませんが
   マイクロフィルムになっているので、閲覧やコピーができます。有料です。1枚20円?

4.墓石の調査
   つながりは分かりませんが、2世代程度先へ延びました。

5.郷土史の調査等です。
   わたしの母方は、大正元年から以前にはつながらず、壬申地券地引絵図をみると、
   明治6年の戸主は分かりますが、墓石は有りません。
   もっと古い墓石には宝暦時代の年号と戒名はありますが、俗名がありません。

   少ない名字なので、800年前~400年前くらいを書いた本が有るのだが、
   400年前~100年前の間が分かりません。
   
あなたの御先祖を調べてみても良いのではないでしょうか?
ご協力します。
高崎・和算愛好会のウェブページの方に、メールアドレスも追加しましたので、メール下さい。  
  

倉賀野の冠稲荷神社(かんむりいなりじんじゃ)へ行ってきました(2)

4月26日に行って来た前の記事のつづきです。

次は、倉賀野神社の冠稲荷です。

130426_2001.jpg

  倉賀野神社の正面です。

  右手に、参集殿を建築中です。
  前の建物よりも大きくなった
  ようです。



130426_2002.jpg

  冠稲荷の正面です。
  こぢんまりした祠です。
  


130426_2003.jpg

130426_2004.jpg

  元治(げんじ)元年(1864年)
  とあります。
  これも移築されたものでしょう。
  



倉賀野神社の冠稲荷はここまでです。
前橋川曲町の諏訪神社へは、行ったことがありませんが、社殿は残っているのでしょうか?


おまけの1

130426_3001.jpg
  倉賀野宿の上の木戸あたりです。
  
  左右に走っているのが中山道、
  左は高崎宿へ至ります。

  ここから右が倉賀野宿です。

  前に走る道が手前に来て急に
  太くなっていますが、ここは
  数年前から道になりました。

  江戸の頃は「辻番」があった
  ところです。
  昭和40年ころまでは、
  「ひのみやぐら」がありました。
  



130426_3002.jpg

  右の絵図の右半分のところ。
  
  この絵図には安楽寺も見えます。

  旅のウェブページの中に、
  安楽寺の手前の歩道橋あたりを
  上の木戸としているものが
  ありますが、少しずれています。
  



おまけの2

130426_4001.jpg

  氷室京介さんの実家の跡

  なにも無くなってしまいました。

  先日、ファンに放火され  
  無残に放置されていました。
  
  もらい火で全焼したお宅も
  かたずけられました。

  再建されるのでしょうか
  
  



130408_4001.jpg

  4月8日の同じ場所です。
  










倉賀野の冠稲荷神社(かんむりいなりじんじゃ)へ行ってきました(1)

4月26日に、倉賀野の冠稲荷神社(かんむりいなりじんじゃ)へ行ってきました。

「群馬の算額No.106」が掲示されたと記録のある神社です。

しかし、倉賀野の冠稲荷神社は若干複雑です。

算額が掲示されたのは、慶応元年(1865年)です。
場所は倉賀野の横町(よこまち)の冠稲荷神社でしょう。
しかし、明治42年(1909年)に、社寺廃合令により、
倉賀野の上町(かみちょう)の後の倉賀野神社に併せられました。
常夜灯と石玉垣は倉賀野神社に移され、社殿は前橋川曲町の諏訪神社に売られたそうです。
その後、「町の人の夢にお稲荷さんが出て『元の場所に戻りたい』と泣く」ということで、
昭和11年(1936年)に横町に再建されています。

まず、倉賀野の横町(よこまち)の冠稲荷神社です。
130426_1001.jpg


  横道の奥に鳥居が見えます。
  鳥居の先に見えるのは、
  横町公民館です。


130426_1002.jpg


  近くに行くと、
  右手に社殿が見えます。
  写真は東を見ているのですが
  社殿は東が正面なので
  ぐるっと回りこみます。


130426_1003.jpg




  社殿の正面です。


130426_1004.jpg






130426_1005.jpg



  昭和11年  共和会
  とあります。


130426_1006.jpg



  社殿の右側に
  2面の額があります。


130426_1007.jpg



  大きな額では、
  「共和会一同」しか
  読み取れません。
  算額では無さそうですが
  77年くらい経つと
  こんなになるんですね。


130426_1008.jpg



  小さな額は、
  歌が書かれている
  ようです。



しかし、不思議ですね。
「算額は、大きな神社や寺に奉納された。」と聞いているんのですが、
なぜ、ほかに合わされてしまうような神社に掲げたのだろう?
それも、それほど近くの人では無い・・・・。

明治42年には、算額が残っていたのではないでしょうか?
掲額から、約44年ですから。

横町の冠稲荷はここまでです。長くなったので、一度終わります。