高崎・和算愛好会 管理人ブログ

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元日の上毛新聞に、倉賀野神社の「年越しの大祓式」が載っていました

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6月末の「夏越し(なごし)の大祓式(おおはらえしき)」にも、
12月末の「年越しの大祓式(おおはらえしき)」にも出たことがなく、知りませんでした。




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前橋市川曲町の諏訪神社に行って来ました

11月12日に、「倉賀野宿の会」の史跡見学会で、
前橋市川曲町の諏訪神社に行って来ました。

この諏訪神社の創建については、資料が無く不明だが、慶長11年(1606年)に、
前橋総社藩の初代秋元越中守長朝が祈ったという記録がある。
明治40年、国の合祀政策により、神明宮,琴平神社,八坂神社を合祀。
明治43年、倉賀野から三光寺稲荷(冠稲荷)神社の社殿を購入し、同地に改築した。

この神社には、2013年5月に来たことが有る。
2016年4月には、改修した新聞記事を見たことが有る。

場所の地図を次に示します。
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拡大図
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赤い立派な鳥居があります。
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碑に書かれた由緒書の内容が分かりやすく説明されています。
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神社の正面です。
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神社を左後方から見た図です。合祀した神社の石宮もきれいに並んでいます。
前は、本殿,幣殿,拝殿の構成でしたが、旧本殿の漆喰壁の破損が大きく修復できなかったそうです。
現在は、本殿と幣殿が一緒になっている。
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神社の正面の左右上方に漆喰の浮き絵があります。
これも、前のものをうまく取り外して付け替え、すこしお化粧したものだそうです。
前に見た時は良く分からなかったが、唐獅子牡丹の阿吽の対だろうと思います。
正面右側上方の阿形の唐獅子牡丹です。
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正面左側上方の吽形の唐獅子牡丹です。
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鳥居の右、公衆電話ボックスの近くに、2本の石柱が新設されています。
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右側の石柱に書かれている、格天井絵(ごうてんじょうえ)を見せて頂きました。
玉村の絵師・千輝玉斎(ちぎらぎょくさい)の作です。
一部分の写真を撮りました。1枚1枚に、奉納者と思われる名前が書かれています。
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格天井のほかに、その下の梁にも絵が描かれています。
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素晴らしいですね。川曲の方々ありがとうございます。
こんなに良くしていただき、社殿もしあわせだと思います。


追記1   算額について尋ねて見ましたが、無さそうでした。
追記2   唐獅子牡丹について。獅子は、獅子身中の虫が怖いが、牡丹からのしずくで、
       獅子身中の虫を駆除できるので、獅子が牡丹の近くにいるという事らしい。(未確認)



榛東村新井の八幡宮へ行って来ました

11月12日に、「倉賀野宿の会」の史跡見学会に参加して、
榛東村新井の八幡宮へ行って来ました。

嘉禄2年(1226年)に、桃井義胤が鎌倉の若宮八幡宮を勧請して創建したと伝えられる古社。
明治35年(1902年)12月、社殿4棟全焼。
倉賀野の大杉神社(大須伎神社)の社殿を購入し、明治41年4月新築9月落成。

「新井八幡宮」や、674番地での検索では、地図が得られません。
「榛東村新井地区文化センター」で検索すると近くに見つけられます。
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拡大図です。吹き出しは、私が付けました。説明が欲しいですよね。
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社殿は、こじんまりしています。
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こじんまりしていますが、彫刻がすごい。周りにもたくさんあります。
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本殿も細工が良い。もう少し彫刻が有ってもよさそうだが、あまりを売却したというのはこの辺りかな。
全体として、倉賀野神社の社殿に似ている、小型版というところです。
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この辺りは、近年「八幡ホタルの郷」として有名です。
清流には、貝殻や菜の葉がまかれ、カワニナやサワガニが見られました。
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道路脇には、「八幡ホタルの郷」の案内と「八舞亭」という東屋があります。
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「八舞亭」の横から、池の向こうに、八幡宮の社殿が見えます。
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榛東村新井の人々に守られて、初夏にはホタルに囲まれて、倉賀野に居るよりも幸せかもしれないと思いました。





倉賀野神社 秋の例大祭

10月19日は、倉賀野神社の秋の例大祭でした。

今年は、お参りに行けませんでした。

10月20日の、上毛新聞に出ていました。

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上毛新聞に、前橋市川曲町の諏訪神社の改修完了が載っていました

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ここの社殿は、群馬の算額No.106が奉納されたと記録のある、冠稲荷神社(三光寺稲荷ともよばれていました)が、倉賀野神社に合祀された時に売却されたものです。
以前に訪ねたことがあるのですが、外壁の痛みが気になったところでした。
以前に訪れた時のブログページ

川曲町町民有志の方々に感謝です。

千輝玉斎(ちぎらぎょくさい)の天井絵が残っているそうです。
普段は施錠されているとのことなので、内部が公開される10月の例大祭に行ってみたい。


花粉症がひどく、4月も拓本を採りに行けなかった。
今年は、例年の3割程度の飛散だというのに・・・・・・

もう少しで、花粉も少なくなると思うので、外に出られる。
晴耕雨読というが、雨の時は外へ出られなくても、家で本を読んだり和算ができる。
花粉は、雨のように外に出られないが、頭がボーとして、和算もできない。
本当に、つらい時季になってしまいます。

それも、あとわずかです。
あれもしたい!これもしたい!で、すこしパニックになっています。






倉賀野町下町の閻魔堂を見て来ました。近くに、焼まんじゅう屋さんができていました。

閻魔堂が新しくきれいになったときいていたので、15日に昭和病院へ行った帰りのバスを下町で降りてみました。

『うーむ、立派になったな~』というのが感想です。
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「隠居の思ひつ記」というブログで、2014年3月9日の「例幣使街道 寄道散歩(1)」に古い姿が載っています。
その写真を次に載せると
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グーグルのストリートビューで見ると、2012年8月のお祭りの様子が見られます。
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閻魔堂の向かいに、焼まんじゅう屋さんができていました。
焼まんじゅう(1串4個で135円)を購入して食べてみましたが、けっこううまかった。
日,月,火がお休みで、水,木,金,土は営業しているそうです。営業時間は忘れてしまった。
お店の中もきれいで、お勧めです。
あん入りの焼まんじゅう(1串2個で160円)という道をはずれたものもありましたが、ためしていません。
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ちかぢかもう一度行って、次はあん入りも食べてみようと思います。



倉賀野の冠稲荷神社(かんむりいなりじんじゃ)へ行ってきました(2)

4月26日に行って来た前の記事のつづきです。

次は、倉賀野神社の冠稲荷です。

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  倉賀野神社の正面です。

  右手に、参集殿を建築中です。
  前の建物よりも大きくなった
  ようです。



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  冠稲荷の正面です。
  こぢんまりした祠です。
  


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  元治(げんじ)元年(1864年)
  とあります。
  これも移築されたものでしょう。
  



倉賀野神社の冠稲荷はここまでです。
前橋川曲町の諏訪神社へは、行ったことがありませんが、社殿は残っているのでしょうか?


おまけの1

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  倉賀野宿の上の木戸あたりです。
  
  左右に走っているのが中山道、
  左は高崎宿へ至ります。

  ここから右が倉賀野宿です。

  前に走る道が手前に来て急に
  太くなっていますが、ここは
  数年前から道になりました。

  江戸の頃は「辻番」があった
  ところです。
  昭和40年ころまでは、
  「ひのみやぐら」がありました。
  



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  右の絵図の右半分のところ。
  
  この絵図には安楽寺も見えます。

  旅のウェブページの中に、
  安楽寺の手前の歩道橋あたりを
  上の木戸としているものが
  ありますが、少しずれています。
  



おまけの2

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  氷室京介さんの実家の跡

  なにも無くなってしまいました。

  先日、ファンに放火され  
  無残に放置されていました。
  
  もらい火で全焼したお宅も
  かたずけられました。

  再建されるのでしょうか
  
  



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  4月8日の同じ場所です。
  










倉賀野の冠稲荷神社(かんむりいなりじんじゃ)へ行ってきました(1)

4月26日に、倉賀野の冠稲荷神社(かんむりいなりじんじゃ)へ行ってきました。

「群馬の算額No.106」が掲示されたと記録のある神社です。

しかし、倉賀野の冠稲荷神社は若干複雑です。

算額が掲示されたのは、慶応元年(1865年)です。
場所は倉賀野の横町(よこまち)の冠稲荷神社でしょう。
しかし、明治42年(1909年)に、社寺廃合令により、
倉賀野の上町(かみちょう)の後の倉賀野神社に併せられました。
常夜灯と石玉垣は倉賀野神社に移され、社殿は前橋川曲町の諏訪神社に売られたそうです。
その後、「町の人の夢にお稲荷さんが出て『元の場所に戻りたい』と泣く」ということで、
昭和11年(1936年)に横町に再建されています。

まず、倉賀野の横町(よこまち)の冠稲荷神社です。
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  横道の奥に鳥居が見えます。
  鳥居の先に見えるのは、
  横町公民館です。


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  近くに行くと、
  右手に社殿が見えます。
  写真は東を見ているのですが
  社殿は東が正面なので
  ぐるっと回りこみます。


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  社殿の正面です。


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  昭和11年  共和会
  とあります。


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  社殿の右側に
  2面の額があります。


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  大きな額では、
  「共和会一同」しか
  読み取れません。
  算額では無さそうですが
  77年くらい経つと
  こんなになるんですね。


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  小さな額は、
  歌が書かれている
  ようです。



しかし、不思議ですね。
「算額は、大きな神社や寺に奉納された。」と聞いているんのですが、
なぜ、ほかに合わされてしまうような神社に掲げたのだろう?
それも、それほど近くの人では無い・・・・。

明治42年には、算額が残っていたのではないでしょうか?
掲額から、約44年ですから。

横町の冠稲荷はここまでです。長くなったので、一度終わります。

4月8日に安楽寺の花まつりに行ってきました。

お釈迦様の誕生日なので、あま茶をかけてきました。
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『天上天下唯我独尊』と言っていました。

12年に一度の御開帳なので、ご本尊の七仏薬師にもお参りしてきました。
撮影禁止と思い、写真は有りません。
円墳の玄室の壁に、正面に3体左右に各2体ずつ、計7体の仏像が浮き彫りされています。
さらに、入口の左の壁に掘り始めて途中でやめた8体目の跡が有りました。
『8体目を掘り始めたところで朝になった。』言われています。

ご本尊の写真のかわりに、拝観料100円のかわりに頂いた資料を載せます。

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説明書
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4月8日は花まつりです。12年に一度の御開帳です。

4月5日に、倉賀野の安楽寺の近くを通りました。
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さくらが散り始めています。
4月8日は、小学校や中学校の入学式帰りの親子が、釈迦の銅像に甘茶をかけていたものだが、この頃はどうなのだろう。「花まつり」の看板が立っているので、今年はいってみよう。

今年は、巳年なので、本尊の七仏薬師も拝めるはずです。
「大開帳」の看板がそれを示しています。
七仏薬師と言っても、古墳の玄室の砂岩に線彫りで掘られたもので、地味でしたが。
下の写真でも分かりますが、旧中山道に面しています。この道を、私が小さいときは「おうかん」と言っていました、漢字で書くと往還ですかね。当時は漢字を知らないのでわかりませんが。当時は国道17号でしたが、今はバイパスができて、県道です。
小さい時は、安楽寺のことは、「やくしゃま」と言っていました。薬師様のことと思います。

高崎・和算愛好会ホームページ始めました。

2月14日、やっとホームページの公開ができました。
ブログも今日からです。

2月12日に、『群馬の算額28』の奉納先上州倉賀野宿薬師堂と私が思っている、倉賀野の安楽寺へ
行ってきました。

ちょっと、ななめですが、中山道から見た正面です。
天台宗安楽寺(あんらくじ)ですが、七仏薬師如来(しちぶつやくしにょらい)とも呼びます。
お寺ですが、檀家の無い祈祷寺でした。この頃は、新墓地もあり、檀家もあるようです。
倉賀野で最も古いお寺です。
ご本尊は、うらの安楽寺古墳の石室に掘られた、七体の薬師如来です。旅の僧が一夜で掘ったと言われていて
七体目は、掘っているうちに夜が明けて来て途中までということです。
12年に一度、巳年の4月8日に、御開帳と言って、直接お参りができます。
今年は巳年なので公開されるはずです。

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安楽寺を、右横から見た写真です。
お寺の建物が右半分しか無いように見えます。左の竹林に覆われているのが、円墳です。

できたのは、円墳が最初で、次が薬師堂、次に五智堂、その次が安楽寺です。
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境内には、お堂がいくつかあります。勝軍地蔵尊は、須賀(すか)一族が建造したとあります。

住職にもお話を聞きましたが、残念ながら、須賀宇太郎治意や算額奉納の手掛かりはありませんでした。

今日はここまで。
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