高崎・和算愛好会 管理人ブログ

7月7日の上毛新聞に、高崎五万石騒動関連の記事が載っていました

7月7日の上毛新聞に、高崎五万石騒動関連の記事が載っていました。
講演を聞きたかったのですが、和算研究会の例会と重なってしまい、聞きにいけませんでした。

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5月8日の上毛新聞に、ハローと環水平アークの記事が載っていました

5月8日の上毛新聞に、ハローと環水平アークの記事が載っていました。

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5月8日の上毛新聞に、七輿山古墳の記事が載っていました

5月8日の上毛新聞に、七輿山古墳の記事が載っていました。

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4月27日に、「広瀬川詩の道」を歩いてきました

4月27日に、群馬県立図書館の帰りに、「広瀬川詩の道」を歩いてきました。

行ったり来たりしたので、順番は不同です。

周辺の地図です。
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「広瀬川詩の道」の案内です。複数ありました。
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岡本太郎の「太陽の鐘」です。近くに木が多く、写真が撮りにくいです。
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「太陽の鐘」を3方向から撮りました。鐘は、打てません。
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第1回萩原朔太郎賞受賞作の碑です。
石に青銅版が埋め込まれています。文字の部分は凸になっています。
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第2回萩原朔太郎賞受賞作の碑です。
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歴代の萩原朔太郎賞受賞作のリストです。
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第3回萩原朔太郎賞受賞作の碑です。
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「筆塚」です。大きな碑です。これは、石に刻まれています。
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第4回萩原朔太郎賞受賞作の碑です。
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「糸の橋」です。
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「糸の橋」のたもとの「説明」です。
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第5回萩原朔太郎賞受賞作の碑です。
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第6回萩原朔太郎賞受賞作の碑です。
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第7回萩原朔太郎賞受賞作の碑です。
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第8回萩原朔太郎賞受賞作の碑です。
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第9回萩原朔太郎賞受賞作の碑です。
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第10回萩原朔太郎賞受賞作の碑です。
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「交水堰(こうすいぜき)」の説明板です。次の水車の説明でもあります。
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この水車は違和感がありますね。
水車を動力にして、機械製糸をしたり、穀物を搗いたりしたということを表しているのでしょうが、
単に水車を回しているだけに見えます。
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3月21日の上毛新聞に、ガイドたまむらの会の記事が載っていました

3月21日の上毛新聞に、ガイドたまむらの会の記事が載っていました。

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1月26日の上毛新聞に、榛東村新井の八幡神社が、載っていました

1月26日の上毛新聞に、榛東村新井の八幡神社が、載っていました。

この神社の社殿は、倉賀野町に有った大杉神社の社殿を売却したものです。

大杉神社は、船乗りの神社として、茨城県の大杉神社を勧請したものです。

高崎線の開通で、倉賀野河岸も役割を終え、倉賀野の大杉神社もにぎやかさを失いました。

社殿は、榛東村新井の皆様方に愛され幸せと思います。

夏には、八幡神社の池には、たくさんのホタルが舞いすばらしいそうです。

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新年あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。
平成30年の正月です。

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のんびりした正月です。
今年は、趣味を少しセーブして、ゆっくりとすごしたいと思います。


上州石仏の詩の展示会を見てきました

10月22日の上毛新聞に載っていました。
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10月24日に 見に行ってきました。
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つばめが来ました

4月14日、古墳を見て回っている会のガイドがあり、浅間山古墳(せんげんやま こふん)と
大鶴巻古墳(おおずるまき こふん)の案内をしました。

ガイド終了後、町を散策したら、つばめが来ているのを見つけました。
ことし、初めてのつばめです。
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つばめが飛んでいるところが、なかなか取れません。
4月15日に、なんとか写ったのがこれです。拡大するとピンボケで、ここまでです。
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庭の日陰の草のなかに、花が咲いていました。植えた記憶は無いのですが。
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何のはなでしょう?シャガでしょうか?


去年、自然に生えてきたイチョウにも、小さな葉が出てきました。
春がすごい勢いで進んでいます。
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「高崎五万石騒動」の犠牲者をしのぶ義人祭の記事が載っていました (上毛新聞:2月6日)

2月6日の上毛新聞に、義人祭の記事が載っていました。

そろそろ、150年経ちます。

倉賀野の正六の人が2名犠牲になっていますが、

倉賀野では、ほとんど忘れられてしまったようです。

なんとか記憶に残したいと思います。

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福寿草が咲きました

福寿草が咲き始めました。
2月を実感します。
特に手入れをしていないのに、着実に咲きます。
増えることもありませんが。

4輪咲きました。近くに、花芽が3つあります。

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まだまだ寒いが、光の春を感じました。





パソコンを更新したが、なかなか環境が復旧できない

従来使っていたパソコンがネットに突然つながらなくなった。

どうも、通信関連が故障したらしい。

実は、6か月ほど前に、無線ではつながらなくなり、以後、メタル回線でつないでいたから、
突然では、無いのかもしれない。

しかし、前日まで問題なくつながっていたのだから、やはり突然だ。

その1週間前に、予備のパソコンが全く立ち上がらなくなった。
危険を感じて、新しいパソコンの購入手配をした直後に、つながらなくなった。

綱渡り状態だ。

新しいパソコンは、Windows10だが、設定がよくわからない。
Windows7の時は、パソコンの更新は簡単だったように思う。

Windows10には、メールソフトが含まれていないようだ。
メールソフトは、やっとインストールできたが、設定やらパスワードやら失くしたものが多く、
いまだにメールが復旧できない。

やっと、ここまで。先が思いやられる。


岩櫃城跡へ行ってきました

11月12日に、「倉賀野宿の会」の史跡見学会に、(会員ではありませんが)参加しました。
見学先は、岩櫃城址,北群馬郡榛東村新井の八幡宮,前橋市川曲町の諏訪神社です。

まずは、NHK大河ドラマ真田丸で紹介された、岩櫃城です。
吾妻エリアガイドブックにも載っている岩櫃山は、バスの中で見えました。
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バスで、平沢登山口の駐車場へ到着しました。駐車場には既に20台以上の車が止まっていました。
平沢登山口の観光案内所で、ガイドさんについて、1時間の予定で中城,二の丸,本丸の見学です。
観光案内所前に、岩櫃山登山コースの案内図がありました。
1時間ですからほんの一部で、登山というよりも、ハイキングです。
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観光案内所は、標高511mでした。
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岩櫃城跡の説明板です。
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中城、二の丸と言っても何もないので、ガイドをお願いするのは必須でしょう。
空堀の中を歩いたり、坂が有ったりして、滑らないように注意が必要です。
本丸址です。
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本丸址からは、原町が見えます。
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本丸址から、のぼりとは別のルートで観光案内所に戻って1時間10分くらいでした。
ガイドさんがいろいろ説明してくれて、大変良かった。
観光案内所前に大きな、岩櫃城址縄張図という説明図があります。
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説明内容が細かく、読めません。拡大すると以下のようです。
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粕澤堰排水門工事記念碑を見に行ってきました

4月27日、『雨が降り出す前に』と考えて、「粕澤堰排水門工事記念碑」を見に行ってきました。

昨年12月と今年1月に、ブログに載せたものです。
粕澤橋の周辺、倉賀野町1番地へ行ってきました
やはり、史跡の案内板でした

今の季節の概観はこんな感じです。
「粕澤堰排水門工事記念碑 大正15年5月竣工」は、一番左端の小さな碑です。
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薬研(やげん)彫りというのでしょうか、彫りが浅く読みにくいので、片栗粉を試してみました。
小麦粉は、水で流した時にドロドロして残るのでダメ、片栗粉は水できれいに流れるという話です。

使い始めましたが、少し良くなる程度でした。
この碑の表程度なら、片栗粉を使うまでも無さそうなので、直ぐにやめました。
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水で流せば、きれいになります。下の写真のように。
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碑の裏面にも文字があります。
こちらの方が、彫りが浅く読みにくいので、片栗粉を使いました。
碑の後ろは、篠やぶやフェンスが近く、全体像の写真は撮れませんでした。
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こちらは、昭和5年の改修完了の碑文でした。追加で彫ったもののようです。
片栗粉は、水できれいに流れました。雨降りの前を特に選ばなくても良さそうです。
流した後が次の写真です。
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昭和5年の方が、読みにくい文字がありました。整理して追記します。








粕澤橋の周辺、倉賀野町1番地へ行ってきました

12月8日に、倉賀野町の北東の端へ行ってきました。
旧中山道に沿って数メートルの幅で北東に伸びている先の方です。

上佐野町と倉賀野町の間を流れる粕沢川に架かるのが 粕澤橋 です。
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ここは、細野格城の著した『五萬石騒動』の102ページ「粕澤石橋投石の事」の
現場です。
倉賀野と岩鼻の間の梅の木で捕縛された、大総代佐藤三喜蔵と、岩鼻の萬屋で
捕縛された、大総代高井喜三郎の2人を、高崎城へ護送する岡っ引きと、
2人を奪い返そうとする百姓たちが、にらみ合い石を投げた現場です。

写真は、上佐野町から倉賀野町を見ています。
正面の建物は、高崎粕沢橋郵便局です。

ここから、左側を見ると、左に水門が、右にいくつかの碑が、見えます。
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ここは、古くは滝になっていたらしく、『滝を見ると、倉賀野町へ帰ってきたと感じる』と
あったのを、読んだことがあります。

水門をうらから見ると、大きな水門2つと、小さな水門1つで構成されています。
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碑は、5つ並んでいます。その右端に案内板?が立っています。
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右から2つ目の、黒い小さな碑は、左の3つの碑をここへ移した時に建てたものです。
うらに、平成4年10月 等々 彫られているが、笹が多く読めていない。
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以降は、もう少し碑文が読めてから追記します。

ぐんまトリビア図鑑で紹介された、小松屋と仲よし食堂へ行ってきました

5月23日に、桐生へ行く用事が有ったので、ぐんまトリビア図鑑で紹介された
小松屋と仲よし食堂へ行ってきました。

途中で見つけた「桐生まちなか探訪マップ」に、位置を書きこんでみます。
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≪小松屋≫
お店は、外装工事中でした。花パンののぼり旗がないと、見逃しそうでした。
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花ぱん12個入り税別700円でした。
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花ぱんは、天満宮の菅原道真の梅の花をかたどっているそうです。
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≪仲よし食堂≫
近くに行ったら、すぐに分かりました。
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じゃが入りやきそば500円を食べました。
小供洋食+やきそばなのかと思ったが、それほどじゃがいもは多くありません。
見たところ、やきそばに隠れて、じゃがいもはあまり見えません。
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ビスロールは、次の機会のおたのしみとしました。



残念ながら、この記述はあやまりだろう

むかしを思いうかべる山車の巡行を見たら、郷土史を読み返したくなりました。

昭和41年に発行された、『倉賀野千年史』を読みなおして見ました。
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135ページに、倉賀野の郵便局のはじまりについての記述が有ります。
 明治5年に、伝馬処を改称して、郵便局がおかれ、倉賀野は郵便取扱所と呼ばれたそうです。
 取り扱った者は、矢島易次郎⇒根岸直之助⇒須賀良次郎⇒須賀善太郎⇒大島善次郎・・・とあります。

ここで、「須賀善太郎」という名前が出ているので、驚きました。
私は、明治の倉賀野には、「須賀善太郎」はひとりしかいないと考えているからです。
倉賀野の有名な家で、代々名乗られていた名前を、新たに別の家系の人に付けないと思うからです。

私は、明治の「須賀善太郎」は、文化11年(1814年)と文政11年(1828年)に算額を奉納しているひとと
考えています。生まれは、寛政9年(1797年)なので、この人が郵便取扱者だったとする明治18年(1885年)
~明治22年(1889年)には、89歳~93歳となってしまいます。
これは、無理でしょう。

『倉賀野千年史』の記述の出典の幾つかは、明治43年7月に書かれた『倉賀野郷土史』の場合があったので
これを読んで見みました。(高崎市立図書館に、複写して製本されたものがあります。)

この資料には、ページ数が書かれていないので、表すのが難しいのですが、
第2編 人文界  第4章 公官署  第3節 倉賀野郵便局  という項目の記述が内容がほとんど同じであり、
これが出典と思われます。
しかし、この『倉賀野郷土史』には、もう一か所似た記述があります。 
第2編 人文界  第7章 経済  第4節 運輸交通  第2目 郵便電信電話 という項目がありこちらには
矢島易次郎⇒根岸清三郎⇒須賀良次郎⇒須賀喜太郎⇒大島善次郎  とあるようです。
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手書きなので、見にくいのですが、矢印の先が 一方は「善」と読めもう一方は「喜」と読めます。
これだけでは、どちらか判断できません。
『倉賀野千年史』を書いた前沢さんは、「善」を採用したということでしょう。

『倉賀野郷土史』には、「明治42年9月25日の訓令甲第60号で急に作成を指示され、学校職員と役場吏員で
手分けして作ったため問題もあるが、作成を急いだので訂正もできていない」と、最初に書かれています。

つぎに、須賀健一氏著『須賀庄兵衛家由緒 第1部 烏川に棹さして』を読んでみました。
161ページ,162ページに、第13代須賀庄兵衛(良二郎)の役儀が書かれています。
その中の幾つかを拾うと次のようです。
明治18年12月26日 補四等郵便取扱役(月給80銭)、駅逓局駅逓総官野村靖。
               (根岸清三郎より引き継ぐ)
明治19年5月25日 三等郵便局長(倉賀野郵便局勤務)、叙判任官十等、但級下級手当、駅逓局。
明治21年5月24日 依願郵便局長辞職(須賀喜太郎に引き継ぐ)。

こちらは、辞令を写しているような記述です。
根岸清三郎⇒須賀良二郎⇒須賀喜太郎  が正しそうですね。

須賀善太郎で無かったのは、明治以降の消息をさがしている私には残念ですが、

『倉賀野千年史』の135ページの記述には、あやまりがあったと言うしかありません。


残念。






新年明けましておめでとうございます。

新年明けましておめでとうございます。

年賀はがきの束を持ったまま、越年してしまいました。
年賀状をいただいた方々、これから書きますので、しばらくお待ちください。
松の内には、なんとか届くかな。

年末は、群馬の算額No.106の問1に取り組んでいました。
円楔(えんけつ)というのがどんな図形かというのから考えなおしました。
算法求積通考の円楔起原をみると、円楔には、正形円楔と作形円楔の
2種類があり、なにも書いていないただの円楔は、正形円楔とある。

正形円楔として、群馬の算額No.106の問1の解法を考えていたが、
術文と合わなかった。どこかで間違えたと、ずっと見直していた。

作形円楔として円理豁術で解いてみたら、比較的簡単に、術文と合った。
円理豁術では、やさしい問題のように見える。
法道寺善門人としてこれで良いのだろうか?疑問が残る。

答えが正しいかどうか、現代的解法で確認したいが、
私は、数学が得意でないので、こっちの方が難しい。
定積分になるのだが、三角関数の積分になってしまった。
置換積分というのを2回やるのかな?だれか教えて。

悩んで、あれやこれや見たが良く分からない。

変なものばかり見つかる。

蠡管算法(れいかんさんぽう)に、群馬の算額No.106の問1と
似た問題が載っている。
くさびの刺さり方が違うが、これも円理豁術で解ける。
ここには、「順天堂算譜にあるのは邪術」と書かれている。

順天堂算譜をみると、確かに、術文・答えが違っている。
長沼安定の順天堂算譜解には、円楔の分割の方法が私とはちがう、
途中で理解できないところがある。これがちがうのか?

順天堂算譜解には、くさびの刺さり方を変えた場合も
書いてあり、これは、なんと群馬の算額No.106の問1と
同じ。

ほんとにそうなの?はっきりしない。
訳がわからず、夜もねられず、新年が来た。

いずれにしても、みな作形円楔のようだ。






『東国文化副読本~古代ぐんまを探検しよう~』 を買ってきました。

ひさしぶりに本屋へ行って来ました。
おもしろそうな安い本があったので買ってきました。

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小学生か中学生用の副読本だが、群馬にたくさんある古墳について見やすい説明がある。
税込で200円。信じられない安さ。

倉賀野にも、全国で49番目に大きい,群馬県では2番目に大きい浅間山(せんげんやま)古墳をはじめ、大鶴巻(おおつるまき)古墳や小鶴巻(こつるまき)古墳,安楽寺(あんらくじ)古墳,ほかいくつもあるが残念ながらこの本では、一覧の中にしか載っていない。
ちょっとさびしいが、特徴を分かりやすく説明するとか、整備するとかしないとダメなのかも知れない。



今日は、がっかりした。MCI(軽度認知障害)かな?。

今日は、がっかりした。
和算を学んでいる時間は、のこりわずかかもしれない。

NHKの「あさイチ」で、MCI(経度認知障害)の説明をしていたが、
今日、急に思いだせないことが頻発した。

今日は、3カ月に一度,日高病院に行く日だった。
予約した時間は、11時~。
JRで行くのだが、降りる駅の名前が思い出せなかった。
ひとつ前の駅,高崎問屋町駅や、ひとつ先の駅,新前橋駅はわかるのだが、
降りる駅,井野駅の名前が全く出てこなかった。

井野駅だと、教えてもらった後は、全く問題なく思いだせる。

病院へ行く途中で、銀行に寄った。暗証番号が何か不安。1度目は違った。
良く考えた後の2度目は、OKだった。

病院について、9時50分、受付に予約票と保険証を出して、
『保険証が変わりました』と言った。
看護師さんが、『今日は早く出られたのですか?』と言ったので、
『そうですね、早く出ました。』と答えた。

少し経って気付いたが、予約の10分前を目標にしていたが、
なんと、1時間10分前。びっくりした。

日高病院の看護師さんや医師は優しい。予約の1時間前に診てくれた。

こんなに、ぼろぼろなのは、初めてだ。
今日はどうしたんだろう?
もう、私に残された時間は少ないのかもしれない。

はやく、和算の学びを進めないと。