FC2ブログ

高崎・和算愛好会 管理人ブログ

カテゴリ:その他 の記事一覧

11月13日の上毛新聞に、「藤岡算学塾」の記事が載っていました

11月13日の上毛新聞に、「藤岡算学塾」の記事が載っていました。

2018_11_13_001.jpg
2018_11_13_002.jpg




スポンサーサイト

11月4日の上毛新聞に、倉賀野16騎武者行列が載っていました

11月4日の上毛新聞に、倉賀野16騎武者行列が載っていました。
2018_11_04_1_001.jpg
2018_11_04_1_002.jpg

11月3日についでに、小栗上野介企画展を見てきました

11月3日に能面展のついでに、小栗上野介企画展を見てきました。

シティギャラリーの入口です。
2018_11_03_CIMG2864.jpg


企画展のパンフレットです。
2018_11_03_3_007.jpg


戴いた資料です。
(おもて)
2018_11_03_3_008.jpg
2018_11_03_3_009.jpg


(うら)
2018_11_03_3_010.jpg
2018_11_03_3_011.jpg




--------------------------------------------------------------------------------------------------

11月3日の上毛新聞に、小栗上野介企画展が載っていました。
2018_11_03_2_001.jpg
2018_11_03_2_003.jpg




11月3日に、能面展を見に行ってきました

11月3日に、能面展を見に行ってきました。

案内はがき
2018_11_03_1_001.jpg
2018_11_03_1_002.jpg



作品紹介
2018_11_03_1_003.jpg
2018_11_03_1_004.jpg


さくらの楊枝 をもらいました。
2018_11_03_1_005.jpg



一面でもすごいのに、作品の数が多く驚きました。


----------------------------------------------------------------------------------------------
11月4日の上毛新聞に、能面展の記事が載っていました。
2018_11_04_2_001.jpg
2018_11_04_2_002.jpg





第40回ふるさと石仏写真展「上州石仏の詩」を見てきました

10月26日、拓本展のとなりの展示室だったので、見てきました。

案内はがき です
2018_11_21_005.jpg


出品目録 です
2018_11_21_003.jpg


足踏み系の双体道祖神や蚕神の写真が良かったですね。

------------------------------------------------------------
10月27日の上毛新聞に、載っていました。

2018_10_27_003.jpg
2018_10_27_004.jpg



7月7日の上毛新聞に、高崎五万石騒動関連の記事が載っていました

7月7日の上毛新聞に、高崎五万石騒動関連の記事が載っていました。
講演を聞きたかったのですが、和算研究会の例会と重なってしまい、聞きにいけませんでした。

2018_07_07_1.jpg
2018_07_07_2.jpg


5月8日の上毛新聞に、ハローと環水平アークの記事が載っていました

5月8日の上毛新聞に、ハローと環水平アークの記事が載っていました。

2018_05_08_6.jpg
2018_05_08_8.jpg





5月8日の上毛新聞に、七輿山古墳の記事が載っていました

5月8日の上毛新聞に、七輿山古墳の記事が載っていました。

2018_05_08_3.jpg
2018_05_08_4.jpg
2018_05_08_5.jpg



4月27日に、「広瀬川詩の道」を歩いてきました

4月27日に、群馬県立図書館の帰りに、「広瀬川詩の道」を歩いてきました。

行ったり来たりしたので、順番は不同です。

周辺の地図です。
2018_04_28_01.jpg


「広瀬川詩の道」の案内です。複数ありました。
2018_04_28_02.jpg


岡本太郎の「太陽の鐘」です。近くに木が多く、写真が撮りにくいです。
2018_04_28_03.jpg


「太陽の鐘」を3方向から撮りました。鐘は、打てません。
2018_04_28_04.jpg


第1回萩原朔太郎賞受賞作の碑です。
石に青銅版が埋め込まれています。文字の部分は凸になっています。
2018_04_28_05.jpg


第2回萩原朔太郎賞受賞作の碑です。
2018_04_28_06.jpg


歴代の萩原朔太郎賞受賞作のリストです。
2018_04_28_07.jpg


第3回萩原朔太郎賞受賞作の碑です。
2018_04_28_08.jpg


「筆塚」です。大きな碑です。これは、石に刻まれています。
2018_04_28_09.jpg


第4回萩原朔太郎賞受賞作の碑です。
2018_04_28_10.jpg


「糸の橋」です。
2018_04_28_11.jpg


「糸の橋」のたもとの「説明」です。
2018_04_28_12.jpg


第5回萩原朔太郎賞受賞作の碑です。
2018_04_28_13.jpg


第6回萩原朔太郎賞受賞作の碑です。
2018_04_28_14.jpg


第7回萩原朔太郎賞受賞作の碑です。
2018_04_28_15.jpg


第8回萩原朔太郎賞受賞作の碑です。
2018_04_28_16.jpg


第9回萩原朔太郎賞受賞作の碑です。
2018_04_28_18.jpg


第10回萩原朔太郎賞受賞作の碑です。
2018_04_28_17.jpg


「交水堰(こうすいぜき)」の説明板です。次の水車の説明でもあります。
2018_04_28_40.jpg


この水車は違和感がありますね。
水車を動力にして、機械製糸をしたり、穀物を搗いたりしたということを表しているのでしょうが、
単に水車を回しているだけに見えます。
[広告] VPS



3月21日の上毛新聞に、ガイドたまむらの会の記事が載っていました

3月21日の上毛新聞に、ガイドたまむらの会の記事が載っていました。

2018_03_21_1.jpg
2018_03_21_2.jpg



1月26日の上毛新聞に、榛東村新井の八幡神社が、載っていました

1月26日の上毛新聞に、榛東村新井の八幡神社が、載っていました。

この神社の社殿は、倉賀野町に有った大杉神社の社殿を売却したものです。

大杉神社は、船乗りの神社として、茨城県の大杉神社を勧請したものです。

高崎線の開通で、倉賀野河岸も役割を終え、倉賀野の大杉神社もにぎやかさを失いました。

社殿は、榛東村新井の皆様方に愛され幸せと思います。

夏には、八幡神社の池には、たくさんのホタルが舞いすばらしいそうです。

2018_01_26_01.jpg
2018_01_26_02.jpg



新年あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。
平成30年の正月です。

2018_01_03_001_4.jpg


のんびりした正月です。
今年は、趣味を少しセーブして、ゆっくりとすごしたいと思います。


上州石仏の詩の展示会を見てきました

10月22日の上毛新聞に載っていました。
2017_10_27_1.jpg
2017_10_27_2.jpg

10月24日に 見に行ってきました。
2017_10_27_3.jpg
2017_10_27_4.jpg


2017_10_27_5.jpg

2017_10_27_6.jpg

2017_10_27_7.jpg


2017_10_27_8.jpg

つばめが来ました

4月14日、古墳を見て回っている会のガイドがあり、浅間山古墳(せんげんやま こふん)と
大鶴巻古墳(おおずるまき こふん)の案内をしました。

ガイド終了後、町を散策したら、つばめが来ているのを見つけました。
ことし、初めてのつばめです。
2017_04_14_1.jpg


つばめが飛んでいるところが、なかなか取れません。
4月15日に、なんとか写ったのがこれです。拡大するとピンボケで、ここまでです。
2017_04_15_1.jpg


庭の日陰の草のなかに、花が咲いていました。植えた記憶は無いのですが。
2017_04_15_2.jpg
何のはなでしょう?シャガでしょうか?


去年、自然に生えてきたイチョウにも、小さな葉が出てきました。
春がすごい勢いで進んでいます。
2017_04_15_3.jpg



「高崎五万石騒動」の犠牲者をしのぶ義人祭の記事が載っていました (上毛新聞:2月6日)

2月6日の上毛新聞に、義人祭の記事が載っていました。

そろそろ、150年経ちます。

倉賀野の正六の人が2名犠牲になっていますが、

倉賀野では、ほとんど忘れられてしまったようです。

なんとか記憶に残したいと思います。

2017_02_10_1.jpg
2017_02_10_2.jpg




福寿草が咲きました

福寿草が咲き始めました。
2月を実感します。
特に手入れをしていないのに、着実に咲きます。
増えることもありませんが。

4輪咲きました。近くに、花芽が3つあります。

2017_02_08_1.jpg

まだまだ寒いが、光の春を感じました。





パソコンを更新したが、なかなか環境が復旧できない

従来使っていたパソコンがネットに突然つながらなくなった。

どうも、通信関連が故障したらしい。

実は、6か月ほど前に、無線ではつながらなくなり、以後、メタル回線でつないでいたから、
突然では、無いのかもしれない。

しかし、前日まで問題なくつながっていたのだから、やはり突然だ。

その1週間前に、予備のパソコンが全く立ち上がらなくなった。
危険を感じて、新しいパソコンの購入手配をした直後に、つながらなくなった。

綱渡り状態だ。

新しいパソコンは、Windows10だが、設定がよくわからない。
Windows7の時は、パソコンの更新は簡単だったように思う。

Windows10には、メールソフトが含まれていないようだ。
メールソフトは、やっとインストールできたが、設定やらパスワードやら失くしたものが多く、
いまだにメールが復旧できない。

やっと、ここまで。先が思いやられる。


岩櫃城跡へ行ってきました

11月12日に、「倉賀野宿の会」の史跡見学会に、(会員ではありませんが)参加しました。
見学先は、岩櫃城址,北群馬郡榛東村新井の八幡宮,前橋市川曲町の諏訪神社です。

まずは、NHK大河ドラマ真田丸で紹介された、岩櫃城です。
吾妻エリアガイドブックにも載っている岩櫃山は、バスの中で見えました。
2016_11_20_1_1.jpg

バスで、平沢登山口の駐車場へ到着しました。駐車場には既に20台以上の車が止まっていました。
平沢登山口の観光案内所で、ガイドさんについて、1時間の予定で中城,二の丸,本丸の見学です。
観光案内所前に、岩櫃山登山コースの案内図がありました。
1時間ですからほんの一部で、登山というよりも、ハイキングです。
2016_11_20_1_2.jpg

観光案内所は、標高511mでした。
2016_11_20_1_3.jpg

岩櫃城跡の説明板です。
2016_11_20_1_4.jpg

中城、二の丸と言っても何もないので、ガイドをお願いするのは必須でしょう。
空堀の中を歩いたり、坂が有ったりして、滑らないように注意が必要です。
本丸址です。
2016_11_20_1_5.jpg

本丸址からは、原町が見えます。
2016_11_20_1_6.jpg

本丸址から、のぼりとは別のルートで観光案内所に戻って1時間10分くらいでした。
ガイドさんがいろいろ説明してくれて、大変良かった。
観光案内所前に大きな、岩櫃城址縄張図という説明図があります。
2016_11_20_1_7.jpg
説明内容が細かく、読めません。拡大すると以下のようです。
2016_11_20_1_8.jpg





粕澤堰排水門工事記念碑を見に行ってきました

4月27日、『雨が降り出す前に』と考えて、「粕澤堰排水門工事記念碑」を見に行ってきました。

昨年12月と今年1月に、ブログに載せたものです。
粕澤橋の周辺、倉賀野町1番地へ行ってきました
やはり、史跡の案内板でした

今の季節の概観はこんな感じです。
「粕澤堰排水門工事記念碑 大正15年5月竣工」は、一番左端の小さな碑です。
2016_04_28_1.jpg
2016_04_28_2.jpg

薬研(やげん)彫りというのでしょうか、彫りが浅く読みにくいので、片栗粉を試してみました。
小麦粉は、水で流した時にドロドロして残るのでダメ、片栗粉は水できれいに流れるという話です。

使い始めましたが、少し良くなる程度でした。
この碑の表程度なら、片栗粉を使うまでも無さそうなので、直ぐにやめました。
2016_04_28_3.jpg

水で流せば、きれいになります。下の写真のように。
2016_04_28_4.jpg

碑の裏面にも文字があります。
こちらの方が、彫りが浅く読みにくいので、片栗粉を使いました。
碑の後ろは、篠やぶやフェンスが近く、全体像の写真は撮れませんでした。
2016_04_28_5.jpg

こちらは、昭和5年の改修完了の碑文でした。追加で彫ったもののようです。
片栗粉は、水できれいに流れました。雨降りの前を特に選ばなくても良さそうです。
流した後が次の写真です。
2016_04_28_6.jpg

昭和5年の方が、読みにくい文字がありました。整理して追記します。








粕澤橋の周辺、倉賀野町1番地へ行ってきました

12月8日に、倉賀野町の北東の端へ行ってきました。
旧中山道に沿って数メートルの幅で北東に伸びている先の方です。

上佐野町と倉賀野町の間を流れる粕沢川に架かるのが 粕澤橋 です。
2015_12_20_01.jpg
ここは、細野格城の著した『五萬石騒動』の102ページ「粕澤石橋投石の事」の
現場です。
倉賀野と岩鼻の間の梅の木で捕縛された、大総代佐藤三喜蔵と、岩鼻の萬屋で
捕縛された、大総代高井喜三郎の2人を、高崎城へ護送する岡っ引きと、
2人を奪い返そうとする百姓たちが、にらみ合い石を投げた現場です。

写真は、上佐野町から倉賀野町を見ています。
正面の建物は、高崎粕沢橋郵便局です。

ここから、左側を見ると、左に水門が、右にいくつかの碑が、見えます。
2015_12_20_02.jpg
ここは、古くは滝になっていたらしく、『滝を見ると、倉賀野町へ帰ってきたと感じる』と
あったのを、読んだことがあります。

水門をうらから見ると、大きな水門2つと、小さな水門1つで構成されています。
2015_12_20_035.jpg


碑は、5つ並んでいます。その右端に案内板?が立っています。
2015_12_20_05.jpg

右から2つ目の、黒い小さな碑は、左の3つの碑をここへ移した時に建てたものです。
うらに、平成4年10月 等々 彫られているが、笹が多く読めていない。
2015_12_20_06.jpg




以降は、もう少し碑文が読めてから追記します。